本から明日をつくる

《経済学の大学院を修了しベンチャー企業で働く管理人》が、“ビジネス”と”人生”を深くする教養をお届けします。【様々なジャンルの本から学べる明日に活かせる知識・視点】と【日本と世界のあまり知られていない世界の魅力】を発信しています。

韓国と北朝鮮の対立に終止符か?また時代が大きく変わろうとしている

昨日4月27日、世界に震撼が走る出来事がおこりました。

韓国と北朝鮮で出された「板門店宣言」、ここで二国が平和と統一にむけた合意が発表されたのです。

 

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※これは韓国側にある統一を望むための碑です。

 

このことは同じ東アジアに住む僕たちにとって大きな出来事です。

同じ民族が共存のために歩み寄っていくことは本当に喜ばしいことである反面、これから日本を含めた情勢がどう変わっていくか注意深く見ていく必要があるでしょう。

 

なんでそもそもこんなに朝鮮半島に敏感になっているかというと、先月ちょうど韓国と北朝鮮軍事境界線地帯に行ってきたらなんですね。

詳しくはこちらの記事を。

 

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

三月の段階ではいつ統一にむけて動けるのだろうか、なんて思っていたので1か月の急転換にびっくりなわけです。

 

 

朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言

4月27日に平和会談が行われたのは板門店

聞いたことがある人もいるかもしれません、軍事国境線の38度線のところにあるやつです。

 

さて、ではこの板門店宣言とは実際どのような内容なのでしょうか。

ちょうどYahoo!ニュースに全文があったのでリンクを張っておこうと思います。

news.yahoo.co.jp

 

この板門店宣言をざっくり言うと以下のような感じになります。

  •  民族自主の原則にもとづき、各界多層の交流や民間の交流を円滑化させ、南と北の統一の未来を早めていく
  • 地上・海上・空中全ての領域で軍事的緊張対立の原因となるような敵対行為を全面停止し、対策をとっていく
  • 段階的に南も北も軍縮をおこなっていき、完全な非核化を通じて核のない朝鮮半島を実現するという共通目標を確認した
  • 今年終戦を宣言して、恒久的で強固な平和体制実現のため南・北・米、あるいは南・北・米・中による会談を積極的に進めていく

というかんじです。

 

 

あらゆる敵対行為の禁止

以前軍事国境線付近に行ったときは、韓国側で韓国のラジオだとか韓国のすごいところをめちゃくちゃ大きな音の拡声器で北朝鮮側に流していました。

対立関係が悪化したときははっきりと相手をけなすような内容を北朝鮮側に流した、とガイドさんは語っていました。

 

でも、この板門店宣言によってそうした挑発行動も禁止されていきます。

 

とてもよいことですが、一度あの挑発しあっている緊張状態というやつを体感することができてよかったと感じもします。

 

 

冷戦の傷跡、朝鮮戦争の終わり

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※実際に朝鮮戦争で使用された兵器

 

朝鮮戦争は今はまだ休戦状態、つまり韓国と北朝鮮はまだ今日現在も戦争状態なのです

それが今、この板門店宣言をきっかけに終止符が打たれようとしています。

 

1950年に、朝鮮戦争はアメリカを中心とした資本主義陣営とソ連・中国らの社会主義陣営との対立軸たした冷戦構造に巻き込まれ勃発し、同じ民族なのに敵対しあうという悲劇的な結末を迎えました。

 

それからずっと互いに歩み寄ることができなかった北と南が、ついに統合に向けて歩み寄っていく、これは大変大きな意味のあることです。

 

上にも書いた南・北・米(アメリカ)・中国の会談というのは当時の冷戦下の朝鮮戦争を行った当事者たちだからこそその会談には意味があるのです。

 

 

気を付けなければいけないこと

ただ、これを平和万歳だけで鵜呑みにするのもよくないだろうとも考えます。

 

基本的に国際関係において真の狙いや裏の意図というのはつきものです。

自国にメリットがなくてこれまでの状態から変わる、ということは基本的にありません。

 

北朝鮮はこれまで莫大な予算を投入してきた核開発を、非核化に向けて尽力すると真逆の方向転換をしたわけです

よっぽどなメリットがなくてはこんなことはできません。

 

今回はなんでしょう。

正直ぼくは無知すぎてまだ分かりません。

 

中国・アメリカとの関係の中でものごとを見ないといけないだろうし、北朝鮮一国の中でこれ以上経済的に困窮しては国が成り立たなくなるとようやく気付いたのかもしれない...。

それとももしかしたら平和共存をうたって油断させて実は裏切るため...?(実際世界各国のニュースではこの北朝鮮の態度に対して懐疑的な見方をしているもの少なくないようです)

 

真の意図はなんだろう。

 

同じ東アジアにすむ日本人だからこそ、そのようなことに目を配っていないといけないのでしょう。

【書評】金融の歴史をしっかり学びたいならぜひこの一冊を~川上孝夫・矢後和彦編『国際金融史』~

今回紹介するのは、川上孝夫・矢後和彦編『国際金融史』(有斐閣)です。

 

 

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19世紀後半から成立した国際金融システムはいかなる変遷をたどって今に至るのか。

その歴史を小説的なものでなく、ちゃんとした勉強として知りたいというのであれば、この本はテキストとしておすすめの一冊です。

ただちゃんとした学術書である以上結構難しめの部類には入るので、読むのが大変と思うこともあるかもしれません。

 

 

要約

  • 第一次世界大戦前は金本位制に基づくイギリスを核とした多角貿易決済システムだった
  • 第一次世界大戦後、ロンドンの国際金融市場の地位は後退し、かわりにニューヨークが台頭していく
  • 1929年の世界恐慌により金本位制は崩壊し、1930年代は国同士の協調は失敗して各国は国内の均衡優先政策にはしることに
  • 第二次世界大戦後、1930年代の反省をいかし、ブレトンウッズ体制のもとで国際協力・介入主義・設計主義を基盤に国際金融システムが構築される
  • 金ドル本位制の戦後国際金融システムは、1970年代に変動相場制へと移行していき、現代に至る

 

 

金融システムの変遷の歴史をとても細かく学べる

もともとこの本は大学院生の発展学習に貢献するようにつくられたレベルなので内容がとても細かいです。

上で要約した1つのポイントにつき30ページくらいの分量はざらにあります(笑)

 

読むのは大変かもしれませんが、これ一冊で大抵の金融の歴史知識は手に入ります。

全部理解しようとしなくても、他の本を読んだりするときに手元に置いておいて調べるために使う、というような使い方が良いかもしれません。

 

 

今の為替制度はほんの50年足らずしか続いていない

当たり前のようにニュースを見れば「今日の為替相場は~」といった話をしていますが、こうした為替相場といったものが今の形になったのも1970年代の出来事なんですよね。

 

この本を読んで20世紀になる前からの変遷を学ぶと、今の為替制度は歴史の中じゃほんの一部にしかすぎないことに気づかされます。

今の制度が続くと思ってしまいがちですが、長い歴史のなかでその時その時の世界に合わせて制度は変わってきているので、これからまた大きく変わっていくことだってありうるかもしれません。

 

国際情勢のバランスの変化やブロックチェーンの登場によって、変わっていくことも大いにありうるでしょう。

 

 

たくさんの失敗と試みがあって今に至っている

こうした歴史を学ぶ意義の一つは、過去にあった出来事から、なぜそれは失敗し、それをどのように乗り越えていったかを学び、そうした失敗に対する態度を現在の出来事に投影する、といったことがあると思います。

 

例えばこの本で言えば、1930年代は世界恐慌によってイギリスやフランス、ドイツ、日本など各国は自国の通貨や産業を守るために内向きに走ることになります。

そうして自国の通貨経済圏を作り出しますが、そのときに植民地の資源があるなしなどが第二次世界大戦を誘発する一つの要因にもなってしまいました。

このときに国際金融協調の試みはことごとく失敗してしまったという苦い経験が戦後に持ち越されたのです。

 

また、第二次世界大戦勃発の要因としては、大一次世界大戦後のヴェルサイユ体制でドイツに返済不可能なほどの多額の賠償金を負わせたということもあるでしょう。

 

こうした国際間の金融面における反省から第二次世界大戦後の、国際協調・介入主義・設計主義(ざっくり言うならば市場の需給調整に政府が介入できる制度をつくるという経済学者ハイエクの造語)を基調としたブレトンウッズ体制ができあがるのです。

 

多くの失敗と試みがあったということを、歴史から学ぶことができ、これからの未来を見通す一つの材料となっていくわけです。

 

他にも、この本には書かれていないけれどリーマン・ショックなどからも多くのことが学ぶことができるでしょう。

 

歴史を学ぶ意味を理解して、金融面から過去・現在・未来を考えるうえで、このテキストは大いに役立つ一冊となるはずです。

 

どうして格差はなくならないのか

こんにちは。本から明日をつくりたい大学院生です。

最近暑い日もでてきました、体調管理には皆さん気を付けてくださいね。

 

さて、今日は僕が関心がある社会問題、格差について思っていることを少し書こうと思います。

格差といっても経済格差や教育格差、地域格差情報格差、雇用格差、国家間格差などさまざまな格差がありますが、今日書くのは一国内における経済格差についてです。

 

これまで格差に関する本をいくつか読んだので関心がある方はよかったら読んでみてください。少しだけ紹介しておきます。

 

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

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経済格差というと豊かな暮らしと貧しい暮らしを連想すると思います。

それってすなわち貧困問題?

 

 

格差と貧困は何が違うのか

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こういうスラムに近い写真を見れば、誰だって貧困が問題の場所なんだと思うでしょう。

 

ただ、最近貧困という言葉には二つの意味がこめられるようになってきています。

絶対的貧困相対的貧困です。

 

絶対的貧困とは、明確な定義はありませんが1日1ドル以下で生活している人たちのことを指し、今でもアフリカや南アジアなどの開発途上国では1日1ドル、つまり今のレートなら100円もかけずに生きなければならない人たちがたくさんいます。

 

それに対し、相対的貧困とは、一国の人口の所得の中央値の半分に満たない人のことを指します。日本の場合、調査方法の違いによって多少の差は出るのですが、だいたい10~16%の人たちが年間所得120万円以下の相対的貧困にあてはまると言われています。

 

何度も言うようですが、相対的貧困のボーダーラインは国ごとの所得の中央値によって異なりますから、一概に同じ土俵で国同士で比べるのも難しかったりします。

 

ただ、この相対的貧困率というのは、一つの国の中である程度稼いでいる人もいるなかで、相対的にそういう人たちに比べて満足いく生活を送るだけの所得をもらうことができていない、ということなので格差の指標であると言えます。

 

つまり、格差問題で下側に注目したとき、その人たちが相対的貧困層にあてはまる可能性が高い、ということです。

絶対的貧困は格差というよりはむしろ政府が機能していないとか、水や病気を防ぐためのインフラが整っていないとか、そういうところに問題は根付いています。

 

 

格差をなくすとはどういうことか

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よくテレビやネットニュースを見ると、「格差をなくそう」「格差是正」って言葉、よく聞きますよね。

ここで考えたいのは格差をなくすというのはどういうことなのか、ということです。

 

そのためにも、経済格差は何が問題なのかということを今のところ自分の知っている知識であげていくと、

  • 所得の再分配が適切に行われていない
  • 一部の人たちだけがお金持ちになれている
  • たくさん働いても人並みの生活をなかなかおくれない
  • 貧しさが自分の子ども(次の世代)に連鎖する

といったところでしょうか。

もちろん他にも色々あるとは思います。

 

格差がおこる原因というのは大概所得の再分配がうまく機能していないところにあると言われます。

特に日本では。

 

大企業がばんばんお金を稼いで、大企業の正規雇用を受けている人たち(ここ大事です、非正規雇用だと同じように働いてもたいしてお金がもらえません)にお金が集まっていくわけです。

そのルートにのれていない人たちにはお金がたいしてまわってこないような仕組みができていしまっているのです。

 

そして親の所得が子供の教育にかけられるお金に如実に反映されるからさらに格差の連鎖が続きます。

この本を読めば隠された日本のリアルなもう一つの姿がよくわかります。

 

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

駅のトイレで寝泊まりしなきゃいけない高校生がいる。

そういったように全ての大人たちのつけが子どもにまわっていってしまう。 

 

それが今の日本です。

 

これでは格差をなくすのは相当難しい。

普通の暮らし=色々と消費していくころになってしまっている現代日本ではお金を使うことが当たり前になっているから、相対的貧困に位置する人たちは苦しく感じてしまうのも当然です。

 

今回はこのあたりで記事を終わりにしようかと思いますが、少なくとも日本における格差を少しでも解消するためには、仕組み自体を変えるか、生活に対する考え方・生き方を変えてよりお金を使わなくても大丈夫な生活を見出すか、といったことが必要になってくるのかなと思います。

 

一人でも多くの人がこの問題を真剣に受け止めて、何かできることを探していけたらよいなあと思う今日この頃です。

【書評】X JAPAN ボーカルToshl、苦悩の洗脳生活を語る~Toshl『洗脳 地獄の12年からの生還』

今回紹介するのは、Toshl『洗脳 地獄の12年からの生還』(講談社)です。

 

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著者であるToshl(トシ)は紹介するまでもない日本を代表するロックバンド、X JAPAN のボーカルです。

彼はホームオブハートという自己啓発セミナーを主催する団体に12年に及ぶ洗脳をうけていました。

その洗脳にかかるいきさつ、洗脳中の信じられない虐待と金銭奪取の数々、そして洗脳からの脱出についてあまりにもリアルにこの本にはつづられています。

あまりに現実離れした現実に、読んでいて心が痛まずにいられません。

 

 

内容

  • 洗脳団体に出会う頃、Toshlは自分の利権を利用して金に目が眩んでしまった家族とトラブルを抱え、精神的に追い詰められていた
  • そのとき出会った後の妻、守谷香なら唯一信じられる人だと思ったが、その妻にすすめられたのがMASAYAこと倉淵透が自己啓発セミナーをこなうカルト的な団体だった
  • 信じきってきていた妻のすすめとMASAYAのカリスマ性、そして家族とのごたごたから徐々にその団体に陶酔してしまっていく
  • 暴力をふるわれ続けても、金を吸い上げられても、自分はエゴの塊でMASAYAは素晴らしいという洗脳は深まる
  • やがてMASAYAの金への執着、X JAPANドラムのYOSHIKIとの再開、そして奇跡的な人徳者との出会いを通して洗脳から脱却していく。

 

 

なぜ洗脳にかかってしまったのか

なぜ国民的ロックバンドのボーカルにまでなってToshlは洗脳されてしまったのでしょうか。

この本を読んだ限り、家族に裏切られて自分がスターになっていったことが不幸をまねいてしまったのではいか、何を信じればよいのかわからない、という思いで精神が追い詰められていたことにあるのでしょう。

 

その弱みにつけこんだのがMASAYAであり、元妻守谷香であったわけです。

Toshlを自分たちの団体の広告塔として利用して、金を巻き上げ作らせていったわけです。

 

そしてToshlを洗脳し、暴力を振るう(信じられないことに、団体の信者たちから毎日何時間も蹴る、殴る、罵倒するといった暴力をうけていたそうです)うえで、亡くなってしまったX JAPANのギターHIDEすらも侮辱するということをしていたそうで、読んでいて腸が煮えくり返りそうになりました(僕はX JAPANが大好きなので)。

 

こんな団体があるなんて、そして12年間もこうした尋常じゃない苦痛を受け続けたToshlを思うと、ページをめくるのがつらくなっていきました。

 

 

いつ自分にふりかかることか分からない

この本を読んで、ただToshlはなんて悲痛な人生を歩んできたんだ、という感想で終わらせていけないと思います。

これは誰にでもふりかかりうる話なのです。

 

きっと自分なら大丈夫、そう思っているとよくない。

というか、そう思えているうちはまだよいのかもしれないけれど、こういう洗脳にかかってしいまうのは、このときのToshlのように不幸などが重なって、自分の精神が弱ってるときだからだと思うからです

 

あとがきでホームオブハートと闘ってきた弁護士紀藤さんが書いているように、「自分でものごとも是々非々を判断する習慣」をつけていく必要があるのでしょう。

 

清廉に生きる

そして、Toshlが洗脳から抜け出すときに手を差しのべたご老人が最後に言った言葉が心に残りました。

 

Toshlが「幸せに生きていくにはどうすればよいか」とその人に尋ねたといきにその人が言った言葉。

 

「それは、清廉に生きることじゃな・・・」

 

今、僕たちが生きている世界は色々なことであふれている。

そしてそのほとんどは目先の利益だとか、一時の欲望を満たすためのものばかり。

 

そういったものに惑わされるのではなく、本質を見抜く力を鍛え、慎(つつ)ましく生きていくことが幸せのための秘訣なのかもしれません。

簡単な目先の行動をしているだけでは、幸せは見えてこないのかもしれないですね。

くれぐれも、これをすれば救われる、幸せになれる、といった誘惑にはそそのかされないようにしていきましょう。

【書評】働きつつ、NPOに尽力するという新しい生き方~慎秦俊『働きながら、社会を変えるービジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む』

今回紹介するのは、慎秦俊『働きながら、社会を変えるービジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む』(英治出版)です。

 

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この本は、著者慎さん自身の生き方を記したもので、ビジネスマンとして働きつつ、週末などの休暇を使って児童養護施設の子どもたちに対して何かできないかと画策してNPOを立ち上げた話です。

 

ちなみに、子どもの貧困について書いたルポ本を以前読んだので興味があったらぜひそちらも見てみてください。

 

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

 

要約

  • 児童養護施設に住み込みしてみた実体験が語られる
  • 子どもの貧困・養護施設の実態について職員さん・子ども両サイドから詳しく分析されている、その実態は苦しいものばかり
  • 仕事をしているからこそ、外部だからこそできることもある、世界を少しずつだけど変えていくことができる

 

大事なのは「機会の平等」

あることをきっかけに著者は茨城県にある児童養護施設を見学しに訪れます。

そこで見たものは、ぼろぼろの施設、でもそこにいても元気な子どもたち、それを支える過酷な労働環境でも働く職員たち・・・。

しかし帰るときに「また来るよ」と言うと「どうせもう来ないんでしょ」と言われたそうです。

その日から、働きながら、それでもできることを著者は模索し始めたのでした。

 

児童養護施設にいる子どもたちは大抵親からの虐待や親の経済苦など複雑な過去を抱えている場合が多く、愛情を受けて育っていないケースが多いんだそう。

そのような子どもたちにどうアプローチするかが課題だと当初は考えたそうです。

 

ふと、以前「若者力大賞」という式典に出席させてもらった時に孤児院出身の女優サヘル・ローズさん(この本にも少し登場します)が、施設の子どもは愛情をもらった経験がない、だから大人をなかなか信用できないと話していたのを思い出しました。

 

サヘル・ローズさんのスピーチについて書いた記事はこちら。

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

 

外部の人だからこそできることがあった

最初の頃は心の回復のための子どもたちの集まりを開いてみようとか考えてたそうです。

しかし、職員さんから、「心の回復は一朝一夕でできるものではない」と言われて別のやり方を探したのだそうです。

 

そこで実際に児童養護施設に住み込みをして、子どもや職員さんたちと実際の生活を送ってみたそうです。

その結果気づいたのは、心の回復はその専門の人こそがやるべきことで素人が手出しすることじゃない、ということでした。

だからこそ、外部の人間だから、働いている知識を活かして(著者は金融業界で働いているのですが)、施設改修のための資金調達などならできるという結論に至り、今の活動につながったようです。

 

 

働きながら社会を変えるという新しい生き方

この本から学べるのは、働きながら、ちょっとした時間をつかいながら社会貢献していくこともできるんだ、ということです。

ぼくは社会起業家と呼ばれる人たちの生き方に興味があって、それがきっかけで関連本のこの本を読んだわけですが、こういうやり方もあるのかと少し衝撃を受けました。

 

著者にとっては、社会問題は「子どもの貧困・機会の不平等」にありました。

自分が解決したいと思える社会問題は何だろう?

あるなら、こういうやり方でアプローチすることもできるんだ。

ということが分かりました。

 

筆者が言うには、大事なことはまず知ること、そしてそれを他の人に知らせてあげること。

完璧な理想の社会の実現というのは無理だろうけど、そうしたちょっとした行動が徐々に大きくなって少しずつだけど社会は良くなっていく、そう書かれています。

 

働き方・生き方がどんどん多様になっている現在、こうしてまた新たな生き方ができていくのでしょう。

【書評】グローバル化に移民...これからの世界経済を読み解く~~エマニュエル・トッドほか『世界の未来-ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義』②

今回紹介するのはエマニュエル・トッドほか『世界の未来-ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義』(朝日新書)です。

 

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内容が濃いので前半はこちらの記事にまとめました!

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

さて、この本の後半は、資本主義を研究する経済学・社会学の大学教授ヴォルフガング・シュトレーク氏と、人の国際移動の研究で世界的に知られるジェームズ・ホリフィールド氏の講演・インタビューをまとめたものとなっています。

 

ヴォルフガング氏はグローバリゼーションに伴う国家システムの崩壊を、ホリフィールド氏は移民受け入れの重要性について説明しています。

 

 

ヴォルフガング・シュトレーク「資本主義の限界」

要約

  • グローバリゼーションが進む現代において、負債・不平等といった問題が浮上し資本主義は危機にある
  • 資本主義が民主的に統治されるためには、国の政府がグローバル化を管理してこれ以上グローバルに統合されることを避けるための「責任ある保護主義」をとる必要がある
  • EU統合が進んでいくのは幻想的で、EU内で富の再配分などが求められてくる

 

グローバル化はとめられるのか

これを読んで率直に思ったことは、果たしてグローバリゼーションの波を国家はとめることができるのだろうか、ということです。

個人的には、グローバリゼーションは全てとめることができないけれど、一部だけなら規制できると思っています。

 

どういうことかというと、グローバリゼーションによって移動が自由になっていくのは、カネ、ヒト、モノ、情報の4つです。

ここをごっちゃにしてひとつのグローバリゼーションとすると話は見えてこなくなります。

今回のヴォルフガング氏の講演は、「規律あるグローバリズムを」、と言っていますが、富の再配分がグローバリゼーションが進んでうまくいかなくなっていると言っていることから、特にカネの動きを政府が管理すべきだ、と言っているのかなという印象を受けます。

 

しかし、カネはブロックチェーンの発展などでさらに国境をこえやすくなり、ヴォルフガング氏が言うように国家がカネを管理するならば早急な対策が求められると思うし、なかなか難しい話だと個人的には思います。

 

また、モノは国境を越えるだけでなく、3Dプリンターの発展でどこでも同じモノをつくることできる未来が来るんじゃないかと思っています。

情報はインターネットやSNSがありますから言うまでもありません。

 

つまり、カネ、モノ、情報のグローバリゼーションはなかなか止められないと個人的に思います。

 

ただ、ヒトはどうか?

ここだけは規制できる、というか現状それをしたのが今のEUです。

そこに関して言及したのが、次のホリフィールド氏となります。

 

 

ジェームズ・ホリフィールド「分断の克服」

要約

  • 移民問題に対して安易な政策を行わない「勇気ある政治家」が移民問題を解決する
  • 社会や国家にとって移民は最終的に極めて望ましい存在となる
  • 日本も移民をもっと受け入れることで東、東南アジアの人々が更にやってくるようになって、そこから得られる利益は大きい

 

日本の移民問題を考える

以上のように、ホリフィールド氏は移民は経済的観点から受け入れていくべきだ、と述べています。

 

経済的利益の観点からしたら移民は受け入れるべき、それはその通りだと僕も思います。

ただ、それだけでうまくいかないから移民問題は難しいのです。

 

まず移民を受け入れることによって国民の雇用が損なわれるのではないかという心配が浮上します

移民を受け入れたら国力全体は向上するかもしれませんが、もともとその国に生まれた人々の生活を苦しめてまで行われるべきことなのか。

このことから、EUでも移民受け入れに完全にオープンになれなかったところがあるはずです。

 

また、日本の場合、事態はもっと複雑です。

日本は島国で単一民族国家だから、国民が他民族を受け入れることにどこか心理的抵抗をもってしまいやすい国です。

リフィールド氏は「人間社会には「壁」が不可欠だ」と述べていますが、まさに日本は海という大きな壁に四方を囲まれ、その上精神的な壁を構築しやすい国民性じゃないかなと思っています。

 

日本の場合、自由を公言して開かれた社会を追求するほど、その社会を守るために「壁」を築き閉ざされた社会になってしまうというホリフィールド氏が言うところの「リベラル・パラドックスが特に問題となってくる気がします。

 

正直この問題は難しく今すぐに答えを出すことはできなさそうです・・・。

 

 

まとめ

後半はグローバリゼーションに伴う資本主義の変容がテーマだったかな、という印象です。

そして、そのグローバリズムは国家が管理して進めすぎてはならないと主張するヴォルフガング氏と、グローバリゼーションによって進む移民の移動を積極的に受け入れることで勝ち組国家となると主張するホリフィールド氏は、ある意味グローバリズムに対して真逆の考え方をしているとも捉えることができ、双方の立場を勉強できるのはとてもおもしろかったです。

 

これからの資本主義がどうなっていくのか。

視野を広くして注意深く見ていくことが必要そうです。

【書評】これからの世界はどうなる?世界の知識人たちが予想する政治経済~エマニュエル・トッドほか『世界の未来-ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義』①

今回紹介するのはエマニュエル・トッドほか『世界の未来-ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義』(朝日新書)です。

 

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本書は世界的な歴史家・人口学者であるエマニュエル・トッドをはじめ、現代最高の知性と呼ぶにふさわしい計4人の学者たちによる講演やインタビューをまとめたものです。内容はタイトルからも分かるように、昨今の民主主義や資本主義の動向・行く末についてです。

今回は前半のエマニュエル・トッド氏とピエール・ロザンヴァロン氏の講演・インタビューに関して紹介していきます。

 

なお、ここでの話は日本に限ったわけでなく、世界全体、とりわけ先進国でおこっていることだとうことは念頭に置いておいてください。

 

エマニュエル・トッド「私たちはどこにいくのか」

要約

  • トランプ大統領当選やイギリスEU離脱は民主主義の再登場である
  • 高等教育がだめになり、エリートが批判精神を失っている
  • 国ごとに異なる家族システムによって民主主義の形も国ごとに異なる
  • 日本は文化の革命が必要

 

民主主義ってなんだろう

トッドの氏の見解で非常に面白いのは各国の家族の形態が民主主義の在り方に結びつく、というものです。

どういうことかというと、例えば日本の場合、直径家族の社会(子供のうち一人が結婚して、夫婦で親の家にとどまり、2,3世代の夫婦で生活共同体を形成する社会)になるそうですが、その場合は権力をとりあうことにあまり関心をもたないそうです。だから自民党が政権を握ることにもつながる、と主張しています。

 

トッド氏からすれば、イギリスEU離脱だとかそういうことは民主主義が機能している証拠で、たしかに大変な道ではあるだろうが、よっぽど他の国よりも民主主義は機能していると言います。

自分たちで選んだ道だったら文句は言えないですもんね。

そういう意味では日本はどうも自分たちで選んでいる、という感じが感じにくい社会になっている気がしますね。

 

つまり民主主義というのは普遍的なものでなく、あくまで普遍的なものは民主主義の制度である、ということです。

自由とか、選挙とか、そういった制度に普遍性はあっても、その具体的な実現方法は国ごとに異なるということです。

 

よく考えてみれば、法体系や政治システムだってその国の歴史や文化を反映しているのだから、民主主義の在り方が国ごとで違うのは当たり前かもしれません。

ただただ欧米の国の政治のやり方を見て、安直にあっちのほうがいい、と思っても実は日本には合うものではなかったりするので気を付けなければいけませんね。

 

 

ピエール・ロザンヴァロン「崩壊する民主主義」

 

要約

  • 選挙で選ばれた代表が代表として機能しなくなっている
  • 民主主義の単純化が進んでいるが、これから複雑になっていかなくてはならない
  • 民主主義は生きた経験でなくてはならない、選挙以外で声をあげていく必要性

 

選挙以外で、声を政治に届けていくこと

ピエール氏が言うのは今は選挙で選ばれた代表が機能していないから、民主主義を機能させるには民主主義を複雑にして、選挙以外の政治参加をしていかなければならない、ということでした。

 

選挙以外、というとデモとか街頭演説とかそういうやつです。

いまの日本でやるとちょっと遠い目で見られがちな気がします。

それだけ日本では民主主義が機能しなくなってきているということになるのでしょう。

 

選挙以外で声を届けていくことがもし本当に必要ならどうすれば今の日本で実現できるのでしょか。

正直無理、と言いたくなりますが、本当に変えたいならもっと教育から変えて子どものころから政治に参加する大切さみたいなものを浸透させていくしかないでしょう。

でもその教育を変えるのは、というと政府がどうしても中心になってしまい、その政府を変えるために選挙以外で民主主義を複雑化させていく必要がある、という堂々巡りに陥ってしまってしまうかんじがしますね…。

 

 

まとめ

今回はトッド氏とピーエル氏二人の文章を紹介しました。

主に民主主義について二人とも語っていて、現状に対してトッド氏は比較的楽観的なところがある反面、ピエール氏は悲観的な印象を受けました。

ただ、二人に共通しているのは、民主主義普遍的なものじゃない、と言っていること。

講演会の記録なので、こういう策がある、という具体的な話までには踏み込んではいませんが、これからの政治体制について考えるにはもってこいの一冊かな、と感じました(ただ日本語訳があまり上手くないのか、自分の語学力が足りないのか、少し読みづらいところもあった気もします)。

 

 

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