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❮旅❯韓国旅行記①~ソウルから北朝鮮の国境付近に行ってきた話

どうもこんにちは。

最近更新が止まっていました、というのもここ最近3日間を使って韓国にふらっと旅行にいっていたからなんですね。

 

韓国!

といえば、

キムチ、焼肉、のり、美容…といった言葉が連想されますよね。

実際そういうやつも体験してきました、気が向いたらそっちの話も記事にしようかなと思います。

 

ですが、この旅で何よりも記事にしたかったこと、それは、

北朝鮮との国境を見てきたこと

です。

 

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僕たち日本人は島国に住んでいることもあり国境というものを実感することはほぼありません。

ましてや朝鮮戦争を経て生まれた国境。

その場所に行ったら様々な思いを持たずにはいられませんでした。

 

これから紹介するのは、国境を感じたいろいろなお話。

(紹介の中で一部時系列は異なります)

 

 

国境をつくる川、そしてDMZ

 国境付近を訪れるならばツアーがおすすめです。

韓国の首都ソウルからバスで出発するツアーで、日本語をしゃべることができるガイドさんが各スポットを説明してくれました。

 

バスの中で国境地帯に向かいながら、ガイドさんは流暢な日本語で韓国の歴史を話してくれたのですが、驚いたのは僕が知る日本で習った歴史とそんなに違いがなかったということ。

当たり前だと思うかもしれませんが、歴史というのはその国ごとによってつくられるものであり、必ずしも過去にあった事実≠歴史ではありません。韓国と慰安婦問題で両国民に歴史観の相違があるのはそういうところに根付いています。

日本人向けのツアーであるという理由はもちろんあるとは思いますが、驚いた部分であります。

 

そのガイドさんは言っていました。

 「かつて朝鮮半島の国はずっと一つでしたが、1910年日本の植民地となり、国を失いました。そして第二次世界大戦後、アメリカとソ連をはじめとした冷戦を主導する国々の介入を受け、戦争を通して同じ言葉を話す同じ民族が二つの国に分断してしまったのです。」

淡々と事実を述べたその言葉は、その悲劇を経験した土地で生まれし人が話すと重みが変わる。教科書で読んだだけの知識が、目の前の現実として迫ってきてとても胸が重くなりました。

 

他にも冷戦の裏話としてアメリカのマッカーサー朝鮮戦争でおこなった作戦など、朝鮮戦争の詳しい話を聞くこと1時間強ほど、バスは韓国と北朝鮮を分断する臨津江イムジン河)が見えてきます。

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そして川を渡る前に(え、川渡ったら北朝鮮行っちゃうんじゃないのと思った方、実は一部分だけ川を渡っても少し韓国の国土が続く場所があるんですね。ツアーではそこにいきます、だって川を経なくて陸続きのところで北朝鮮を見ることができるのですから)、臨津閣(イムジンカク)という場所によりました。

この臨津閣は軍事境界線の南7kmに位置する記念公園みたいなかんじのところです。

 

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これは望拝壇というもので、民間人が許可なく最も北朝鮮に近づくことができる場所であり、南北分断した際に北朝鮮に離れ離れになってしまった家族や友人を思い、祈りをささげる場所のようです。

 

その裏側には「自由の橋」と呼ばれる橋があります。

これはかつて休戦協定によって北朝鮮側に捉えられた捕虜が解放されたときに、「自由万歳」と叫んでこの橋を渡ってきたことに由来するそう。

 

先は今では行き止まりになって渡ることはできません。

 

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この臨津閣では平和と統合を願いが書かれたたくさんの短冊のようなものが風になびきます。

そして離散した家族のことを歌詞にうたって大ヒットした「イムジン河」という歌が大音量で流れていました。

ここは朝鮮戦争の休戦による戦争からの自由と、戦争のしがらみが同時に今なお続く場所なのでした。

 

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そして、再びバスに乗り、臨津江を唯一越えて川の向こう側に行くことができる「統一大橋」を渡っていきます。

橋の上でバスは一度泊まり、韓国の軍役に従事する若者がバスに入ってきて一人ひとりパスポートをチェックします。

休戦国同士の国境に近づいているのだという緊張感が高まりました。

  

ここで、DMZについて少しふれておこうと思います。

DMZとは、DeMilitarized Zoneの略で、日本語では武装地帯と言います。

これは紛争や停戦状態にある二つ以上の国家の間に平和条約や停戦協定等によって設けられる軍事活動が禁止されている地域のことです。

韓国・北朝鮮の場合、1953年の停戦協定以降軍事境界線として定められた北緯38度線の南北2キロ、計4キロの幅のベルト状の地帯がDMZとなりました。

ちなみに、ここは非武装地帯として人の軍事介入が行われないことで豊かな生態系が育ち、様々な動植物の楽園になっているようです。

 

 

小高い山から見えた北朝鮮の町並み

川をわたった先のDMZには小高い丘のようになった頂上に都羅山展望台という展望台があります。

ちなみにその山は朝鮮戦争の傷跡として、未だ地雷が埋まっているので決して道路の外に飛び出してはならないそう。

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その展望台は見晴らしがよく、双眼鏡を覗けばなんと北朝鮮の町まで見ることができます。

運よく僕が行ったときは天気がとてもよかったので、とてもよく見ることができました。

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 この写真の左に北朝鮮の、右に韓国の国境が立っているのに気づきましたか?

つまりこの写真のちょうど真ん中あたりを国境が通っているのです。

 

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これは実際の北朝鮮の街並みです。

工業団地のようで、南北の国交が良好だった数年前は韓国の人がそこまで行って働いていたそうです。

今は北朝鮮が核開発を進めて関係が悪化したため行くことは禁止されています。

 

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展望台にある双眼鏡を覗くとよりはっきりと街並みが分かります。

 

目と鼻の先には北朝鮮が。

そこに住んでいるのは韓国の人たちと見た目も言葉も何も変わらない人たち。

なのにそにすぐちょっとの距離を決して越えることができない何かが、そこに立ちふさがっていました。

 

こうして韓国と北朝鮮との国境というものを緊張感を帯びてまじまじと実感した旅。

しかしDMZでの体験はまだこれで終わりではありません。

続きは別の記事で!