本から明日をつくる

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「修学旅行の思い出」ポリネシアの伝統ダンスに、この木何の木気になる木

今週のお題「修学旅行の思い出」

ということで、せっかくなので僕が初海外経験となった中学校の修学旅行の話を。

 

そう、タイトルにある通り、僕の中学校の修学旅行先はなんとハワイでした!

 

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澄み渡る空に青い海。

僕の初海外は最高な海外リゾートでした。

 

手元にそのときとった写真がないのが残念です…。

しかし今週のお題は待ってくれないしせっかくなので、書くことにしました。

地元に帰った時にでとデジカメ発掘してまた改めて記事にしようかなと思います。

 

さてさて、修学旅行の思い出、ということなので、中学3年のときに印象に残ったところを三つ、紹介していきましょう!

 

 

ハワイ原住民の伝統のショー

とても印象に残ったのはこれですね。

ポリネシアン文化センターというところで、ハワイの原住民の人たちに昔から伝わるダンスなどのショーを見ました。

 

polynesia.jp

 

個人的にリゾート最高!!ってなるよりは、その土地の文化に触れたりするほうがテンションあがるタイプなので、こういうところが一番印象に残ったりします。

 

ポリネシアンという場所は、北はハワイ、南はニュージーランド、東はイースター島まで、の一帯をさします。

ポリネシアンという言葉はギリシャ語で「多くの島」という意味みたいですね。

 

そのポリネシアンの様々な島の文化を、カヌーにのって移動しながら体験することができるようになっています。

顔に模様を塗ってもらったのを今でも覚えています。

 

そして、特に面白かったのが、夜に見たポリネシアン・ナイトショーでした!

伝統的な格好ででてきたポリネシアンの人々が、大きな太鼓の音にあわせて、火の棒を振り回しながらダンスをするそのショーはまさに圧巻!

 

またハワイに行ったら見てみたいです。

 

 

この~木何の木気になる木~

この歌といえば、

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この木ですね。

 

世界不思議発見が小さい頃から好きだった僕は、毎週土曜日にはテレビのなかでこの不思議な木を見ていました。

 

この気になる木、実はモンキーポッドという名前があって、なんとハワイにあったんですね

知らなかったのでびっくりした記憶があります。

 

その木のところにいって、友達と写真を撮る、ただそれだけなのですが、印象には強く残りました。

 

 

お土産・買い物ならアラモアナショッピングセンターへ

ハワイで最大規模のショッピングモールといえばここ、アラモアナショッピングセンター。

www.alamoanacenter.com

 

まあとにかく広いです(笑)

総面積東京ドーム約5個分くらいの広さがあるとかないとか。

 

ここで大抵のお土産とかはそろいました。

お菓子からTシャツまで、色んなものを買いあさった記憶があります。

どこで買い物すればいいか迷ったらとりあえずここにいっておけばいいと思います。

 

 

というかんじでしたが、修学旅行の本当に残ってる思い出って、上に挙げたこととかよりも、友達と部屋で大富豪したり、ビーチで砂に埋められたりしたようなしょうもないようなものばっかりなんですけどね。

 

まあでもそれでこそ修学旅行というかんじで今でも楽しい思い出です。

こうして思い出してたら懐かしくなったので、そろそろ今日はこの辺りで~。

【書評】戦争を学ぶおもしろさ~加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』①

今回紹介するのは、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』新潮文庫)です。

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東京大学文学部の教授である加藤陽子教授が、高校生との日本の近現代史を理解してもらうための集中講義でのやり取りからうまれた一冊です。

そのため一般の人にもとても読みやすいものとなっています。

 

歴史を学ぶ意義を書いた序章、そして日清戦争日露戦争第一次世界大戦日中戦争第二次世界大戦までを描き出した500ぺージ近くある大変長い一冊なので、今回は前半として序章、日清戦争の1章、日露戦争の2章までを扱います。

 

要約

  •  戦争のおもしろさを学ぶ一般論をまぜつつ、日清戦争日露戦争、第一次で解体戦、日中戦争第二次世界大戦のいきさつ、要因、結果、影響を詳しく書いている
  • 過去の日本の戦争を学び、現代と比較することで見えてくるものがある
  • 日清戦争までの過程を、弱くなる中国と強くなる日本という二項対立で見ると本質が見えない。あくまで二国間の競争というものが本質
  • 日露戦争は、その後の昭和の戦争につながる契機である

 

日本の戦争の歴史を考える面白さ

実際に著者が栄光学園という神奈川の名門私立男子校を訪れておこなった講義における、高校生たちとのやり取りからこの本の序章は始まります。

 

いきなり「戦争の歴史とは~」、と始めてしまうと高校生だけでなく、普通の人でもまいってしまいかねませんが、今の人でもなじみの深い9.11テロ事件をかつての日中戦争と比較するという手法をとって、聞き手の興味を掻き立てていくのがさすがといったところ。

 

著者も言っているように、歴史の面白いところは、ある観点から比較したときに思いもよらなかったような共通点が浮かび上がっていくところにあると思います。

ただ暗記することが歴史の勉強というのは、大きな間違いです。

 

歴史を学ぶ本質的な意義は、過去の出来事という”特殊”な事の中から、現代に通用する”普遍”を見出すことであると言えるのかもしれません。

 

そして、個人的に「なるほど!」と思ったのは、ルソーを引用して戦争の敗戦国にもたらす作用とは何か、に対する答えでありました。

以下本文を引用しましょう。

戦争の最終的な目的というのは、相手国の土地を奪ったり(もちろんそれもありますが)、相手国の兵隊を自らの軍に編入したり(もちろんそれもありますが)、そういう次元のものではないのではないか。ルソーは頭の中でこうした一般論を進めます。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。

(p.51より)

 

つまり、戦争の目的は相手国の社会を成り立たせる最も基本的な考え・理念を変えることによって打撃を与え、自国に有利なものにしてしまおうとすること、であると言えるでしょう。

 

そう考えると、今のアメリカが行っている戦争(とくにイラク戦争)などに新たな視点を持ち込むことができそうです。

 

 

侵略戦争だけじゃない日中関係

日清戦争をはじめとして明治期から日本は東アジアに侵略していく、というのはよく言われることで、学校の歴史の勉強でも侵略する日本・強くなっていく日本と侵略される中国・弱くなっていく中国という構図が度々なされることもあります。

 

しかし、この本では、その見方だけだと大切な部分が見えてこないと言い、大切なのは日本と中国は競争関係にあって、戦争という形態は競争の中の一つでしかないと主張されるのでした。

 

1894年の日清戦争で日本が中国に勝ったからこそ中国は弱体化していったというイメージがつきがちですが、1880年代の中国は実は李鴻章という人の手腕によって軍備拡充などが進められていました。

実際山形有朋など当時の政府の人も中国を脅威と思っていた記述が残っています。

 

結果としては日清戦争では日本が勝ってしまうんですけどね。

 

ただ、そのあとフランス・ドイツ・ロシアによる三国干渉を受けて日本は戦争に勝ったのに中国へ遼東半島を返さなければならなくなりました。

こうした弱腰の政府に対して国民が不満を持ち、普通選挙運動が盛り上がることになった、と書かれており、おもしろい見解だなと思いました。

どの時代でも弱腰の政府に対しては不満が出てくるものですね。

 

 

日露戦争を学ぶ意義

日露戦争は約20万人の死者がでた戦争であると言われています。

坂の上の雲を読んだ、あるいはNHKのドラマを見たことがある人はイメージがわきやすいでしょう。

旅順攻略のために203高地を攻め続けて数えきれない日本兵の命が散っていきました。

 

こうして苦しい中でつかんだ勝利は、満州の獲得というかたちで目に見えるものとなりました。

今後、昭和になっておこる満州事変から日中戦争への流れの中で、日本では「20万人の犠牲の上に成り立つ満州の権益を守れ」という主張がなされたそうです。

 

そして日露戦争の勝利の後には韓国という大陸と陸続きの地を植民地とすることで、日本という島国が大陸と陸続きになったことになります。

 

つまり、日露戦争は後の昭和の戦争へのはじまりでもあるのです。

だから日露戦争を学ぶことはその後の戦争を理解する上ではかかせない、と本書は主張します。

全くその通りですね。

 

また、日本・ロシア両サイドの史料を様々な研究者たちが研究した結果、戦争に積極的だったのは日本よりはロシアであり、韓半島朝鮮半島のこと)をねらうロシアからの安全保障上の問題から日本は日露戦争にふみきったという説明ができそうです、と本書で書いていました。

帝国主義的要因というよりは、安全保障的な消極的な要因であったとするのは目からうろこでした。

 

そして戦争を戦い抜くうえで増税したことで、選挙権者が戦前の1.6倍となり、政治家の質も変わっていくことになると書かれています。

戦争をおこなうというのは大変なコストがかかることだから、選挙権であれ、経済の活性化であれ、なんらかの見返りがないと国民が納得してくれないのはどの時代も変わらないことなのかもしれませんね。

 

そろそろ長くなってきたので、続きは別の記事紹介することにしましょう。

ご拝読あありがとうございました。

イスラム教の断食明け祭りに行ったらどうなるのか

まず初めに断っておきますが、実際に断食明け祭りなるものに行ったわけではありません。

正確には、まだ行っていません。

 

というのも、来月、研究兼観光のために単独でインドネシアの首都ジャカルタに行こうと思って飛行機を予約したわけなのですが、ちょうどその日程が断食明け祭りに重なってしまったのですね…。

 

断食明け祭りは日本でいうお正月のようなもので、祝日扱いとなります。

イスラム教の文化を体験できるいいチャンスである反面、行ってみたかった博物館などは休館になってしまいます。

 

完全に予習不足でした。

海外、とくに宗教の関係で祝日が変わったりする国は特に気を付けなければなりませんね。

とても良い教訓になりました。

 

ということで今日はイスラム教の断食明け祭りというものを少し説明したいと思います。

実際に行った感想は6月後半頃に記事にします。

 

 

世界最大のイスラム教国家インドネシアラマダ

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インドネシアは人口が2億人を超える、世界で4番目に人口が多い国家です。

そして、その人口のうち約9割がイスラム教徒であり、ゆえに世界最大のイスラム国家でもあります。

 

インドネシアという国についてはこちらの本を読んで詳しく書いたので興味があればぜひ!

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

さて、そんなイスラム教の独自の習慣である断食について説明していきたいと思います。

 

断食とは、ヒジュラ歴9月に当たる月を断食月ラマダン)と呼び、その期間中は日中は食事をすることを避ける行いです(ヒジュラ歴は太陰暦なので1年が365日でないから年によってラマダンの時期は変わっていきます、これが今回の旅の日程ミスの原因です…)。

食べ物だけでなく、水も飲んではいけないといわれています。

 

一か月間も日中飲まず食わずの日々を続けると聞くと、日本人からするとびっくりするかもしれませんが、ラマダンを通して自らの精神を鍛えるとともに、貧しい人への理解を深めてそういった不遇な人たちに手を差し伸べることの大切さを忘れないようにするためにおこなうです。

イスラム教徒はとても高貴な道徳精神に基づいた宗教であることがわかるかと思います。

 

 

さて、そうして一か月ほどのラマダンが明けると、次の日とその次の日をイドゥル・フィトリ(あるいはルバラン)と呼び、盛大にお祝いをします。

断食明け祭りと呼ばれるゆえんです。

 

日本でいうところの正月に感覚は近いようですね

 

インドネシアでは、故郷へと一斉に帰り家族でルバランをお祝いするみたいです。

そのため、ルバラン直前は帰省ラッシュで交通がマヒしたり、ショッピングモールでは買い物に人が殺到するのだとか。

まさにお正月状態です。

 

そのため、首都のジャカルタからは人々がほとんど消え去るようです。

もちろん学校や会社も休み。

 

僕が今度ジャカルタに行くのはラマダン最終日からルバランが過ぎるまで。

誰もいなかったらどうしよう。

 

まあ行ってみてなんかしらそういうイスラム教の文化を体験できたらいいなと思っています。

報告、楽しみにしていてください。

 

 

利益なんて必要ない。ウイルスから世界を救った男

 

私たちが当たり前のように摂取するワクチン。

しかし、現存する数多くのワクチンが開発されるまでには、そのウイルスによって数えきれない人々が死んでしまっていたことを忘れてはいけません。

 

数多くのウイルスによって人類は苦しめられ、その脅威から人類を救うためにたくさんの研究者たちが奮闘してきました。

そんな人類に猛威をふるったうちのウイルスの一つが、ポリオです。

 

今となってはあまり耳にしないかもしれませんが、20世紀の初めには多くの地域で多くの人々、特に子供が犠牲になっている病気でした

このウイルスのせいで、1916年のニューヨークだけで1万人弱の人がこのポリオに感染し、そのうちの28%が亡くなったとされているほどです。

 

そんな恐ろしいウイルスをなぜ今は耳にしなくなったのか。

それは、2003年までに一部の地域を除きこのウイルスが根絶されたからであり、このポリオに対するワクチンを開発した一人の男の存在があったのです。

 

 

その名は、ジョナス・ソーク

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その男の名はジョナス・ソーク。

1914年に生まれ、1995年にこの世を去ったアメリカの偉大なウイルス学者です。

 

ニューヨーク大学に進学後、患者の治療よりも人類の役に立ちたいと考え、医者ではなく研究者の道を志します。

そしてインフルエンザの研究に当初は従事し、免疫とウイルス感染との関係性を見出します。

そのことがのちのポリオワクチンへの開発につながっていくのです。

 

 

太陽に特許はない

彼はそれから人類貢献のため、当時猛威をふるっていたポリオウイルスを防ぐためのワクチン開発に尽力します。

 

そして度重なる研究を重ね、ワクチンが遂に完成するのです。

1954年には100万人の子どもたちにワクチン接種が行き届き、ここからポリオウイルスは激減の一途をたどるのです。

 

そんなポリオワクチンを人類初の開発に成功したわけです。

やろうと思えば特許を申請でもして莫大な利益を得ることができます。

 

しかし、彼はそれをしませんでした。

 

ある時、だれがこの特許を持っているのかという記者の問いかけに、

「誰も持ってないですよ。太陽に特許はないでしょ?」

と答えたそうです。

 

ソークははなからお金儲けのことなんて考えていなかったのです。

ただただ病気に苦しむ人たちを救いたい、その一心でワクチンを開発したのです。

 

人々に恵みを与えてくれる太陽に特許が無いように、人々に安心を与えるワクチンにも特許は無い。

なんて謙虚で、素晴らしい考えでしょうか。

 

彼は他にも色々と言葉を残しています。

「成功するかどうかはその人の能力より情熱に負うところの方が大きい」

「失敗というものなどないのであって、ただただ早く諦めすぎただけだ」

と彼は言ったそうです。

 

ソークという人となりが分かると同時に、物事に対して取り組むうえで大切なことを教えてくれています。

 

一度でもうまくいけばそれは成功であって、それまでのうまくいかない過程も成功への礎です。

それを失敗と捉えた瞬間に初めて失敗になるということですね。

 

自分も簡単に諦めてしまったりしてはだめでなぁと改めて認識させられました。

世界最大のゲーム会社、テンセントとは?

スマートフォンがここ数年で世界中の人たちに普及していますが、そのスマートフォンの娯楽の一つがゲームアプリではないでしょうか。

日本でもパズドラやシャドバ、白猫プロジェクトなどなど多くのスマホゲームがありますが、世界最大のゲーム会社ってどこの会社がご存知ですか?

 

 

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その会社は、中国のテンセントという会社です。

 

初めて聞いた、という方もいるのではないかと思います。

「まさかの中国に世界最大のゲーム会社?」「アメリカとかじゃないの?」

 

色々衝撃を受けるかもしれませんが、ここ数年のIT大国としての中国の変化はとんでもないものになっています。

一昔前の中国のイメージのままだと世界の常識から置いてきぼりにされてしまいます。

 

アリババとか、最近日本でもよく耳にする企業はでてきましたが、今回紹介する企業はそのアリババと同規模の中国を代表する大企業です。

そんな中国が誇る世界最大のゲーム会社、テンセントに関して紹介していきましょう。

 

 

世界最大のゲーム会社、でもゲームだけじゃない!

テンセントは世界最大のゲーム会社、とは言いましたがそのターゲットの市場は主に中国国内のようです。

だから日本での知名度はまだそこまで高くないのかもしれません。

 

しかし、例えばクラッシュ・オブ・クランだとかクロッシュ・ロワイヤルだとかのゲームは日本でも有名ですよね。

実はこれらのゲーム、今はテンセントがもっています。

正確には、かつては違いましたが、その開発元の北欧の会社の株式を買い取ったようです。

 

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 この収益表からもわかるように、ゲーム(水色のonline games)から得ている収益が最大のようです。

約40%がゲームによる収益となっています。

 

しかしということは、この会社、残りはゲーム以外から収益を得ているということですよね。

それが今、中国で最大のチャットアプリとなっている、”We Chat”です。

日本で言うところのLineの存在がそのWe Chatとなっています。

 

しかも中国は日本と違って人口が13憶人にのぼる人口超大国なので、そのぶん国民の多くにいきわたればそこから得ることができる収益も文字通り桁違いとなります。

 

しかもさらにすごいのが、このWe Chatをもとにして、We Chat PayというQRコードを使用したスマホ決済サービスも展開しています。

これが浸透して、今や中国では現金いらずの社会になりつつあります。

例えば飲食店に入ってお金を払う時、現金でも、Suicaのような電子カードでもなく、クレジットカードでもなく、スマホQRコードを読み取るだけ、という仕組みです。

 

今の日本の生活からはあまり想像できないような社会へと、今の中国はまさに変わりつつあるのです。

ゲームにとどまらず、そんな社会の変化をスマホサービスから作り出しているテンセント。

今後とも注目が離せません。

 

【書評】偏見に対する正義、そして勇気を教えてくれる傑作文学~ハーパー・リー『アラバマ物語』(原題:To Kill a Mockingbird)

今回紹介するのは、ハーパー・リーアラバマ物語』(原題:To Kill a Mockingbird)です。

 

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この本は、1930年代のアメリカ南部のアラバマ州を舞台にした物語です。

その内容の素晴らしさから刊行されて60年近くたとうとしている今でも読みつがれる素晴らしいアメリカ文学です。

ちなみにぼくは英語の原書にチャレンジしてみたのでどこまで読み取れたか分かりませんが、悪しからず。

 

 

あらすじ(ネタバレはしません)

  • 舞台となる1930年代のアラバマ州はアメリカ南部ということもあり、黒人への人種差別が根強かった
  • 物語の語り手スカウトとその兄ジェムは、父で弁護士のアティカスが担当する裁判と関わっていくなかで成長していく
  • その裁判は無罪の証拠がありながらも黒人の少年は有罪をつきつけられてしまう
  • その不条理に対し、戦い続けるスカウトを通して差別や偏見、勇気、良心といったものまで描き出している

 

 

現実を知って子供は成長していくけれど

物語の語り手の主人公スカウトはお転婆少女。

この物語はその少女が成長する物語でもあります。

 

大人の社会の二面性、不条理なこと、ある一種の固定観念がまかり通ってしまうこと。

そういったものは僕たちが大人になっていくなかでも同じようなことを感じてきたことだったかと思います。

 

そうやって人は大人になっていく、でもおかしいことにはおかしいと思う感覚も同じようにどこかに置いていってしまうのでしょうか。

 

周りの人がこういうふうに言ってる、みんながやってるからそれが正しい。

それにNOという勇気は大変なことです

 

しかし、例え自分の命が狙われようともそれを貫き通したのが、スカウトの父アティカスでした。

彼は何がなんでも黒人の少年への罪はないと主張し続けるのです。

 

こういった父の姿と現実の反応を見ながら、主人公のスカウトは戸惑いながらも、しかし現実を受け止めながら、何が大切なのかを理解し、成長していきます。

 

 

おかしいことにNOと言う勇気

この物語の顛末はここには書きません、それでは物語を読む楽しさがなくなってしまうので。

ただ、この物語を読んで感じたメッセージをここに少しまとめようかなと思います。

 

この物語は少女の成長物語にとどまらず、もっと深いメッセージを読者につきつけます。

 

それは、具体的なことであれば、人種差別を、人への偏見を持つことの過ち、もっと大きく抽象的なことであれば、間違っていることにNOと言う勇気を持つことの意味、だと思いました。

 

ちょうどこの本が書かれたのは1960年で、公民権運動など、黒人への人種差別反対運動がアメリカで盛り上がっているときでした。

まさにこの本はアメリカの、とくに人種差別がひどい南部の物語です。

この物語を通して、人種差別反対の意を示そうとしたのでしょう。

 

アメリカ南部は北部に比べて工業化が遅れて貧しい地域だったので、中心でない人たちに対して牙をむけた、というのは何もアメリカだけの話ではないでしょう。

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

この記事で書いたドイツ人とユダヤ人の関係もそうですし、日本だって同じことはありました。

 

しかし、人種差別にせよ何にせよ、おかしいことはおかしいのです。

人は生まれながらにして等しく生きる権利を持っている、このことに間違いなどないはずです

 

おかしいことがおかしいと思われないことに対してNOと言うこと。

それは時にはうまくいかず、挫折しかねない結果を招くことはこの物語からも教えてくれています。

 

それでもおかしいことはおかしい

そう言える人はアラバマ物語ではアティカスくらいでしたかもしれませんが、そうした人の行動が次の世代に受け継がれ、増えていくことで、この社会は少しずつでも変わっていくのかもしれません。

 

そんなことを感じさせてくれる、間違いなく傑作といえる文学でした。

もう一度読み直したい。

なんでもかんでも悪しき伝統なのか。日大アメフト部問題から考える

こんにちは。

ここ数日、日本大学アメリカンフットボール部の反則行為の問題でニュースはあふれかえっていますね。

 

監督から本当に反則行為を強要させられていたならば、スポーツマンとしてその大学生はどんなにつらいことか…。

彼は実名を出し、多くの報道陣たちの前で謝罪会見を開きました。

その勇気は素晴らしいものであると思います。

 

さて、こうして世論は監督へのバッシングが激化します。

まあ当然ですね。

 

そんな中こんな意見も出てきます。

「上からの重圧には逆らってはいけない日本の悪しき伝統だ」

 

「まるで今回の一件は行きたくもないのにお国のためと特攻させられた特攻隊と同じ構図だ」と言うツイートも見かけました。

 

実際よくない、それはその通りだと思います。

 

 

ただ、それをすべて悪しき伝統と言ってしまうのはあまり好きではありません。

そのような文化が根付いたのにはそれが受け入れられる必要な背景があったはずなんです。

 

歴史的に見てその背景は少なくとも二つあると思っています。

 

 

一つは、江戸時代から続く武士道の理念です。

 

儒学的思想などを取り入れて、江戸時代、目上の人は必ず敬い、目上の人のいうことは聞き守らなければならぬ、ということが通年的でありました。

そしてそれをよしとして納得している人が多かったと言われいます。

 

なぜなら、上に立つ人も武士道を理解していて、それに準じた行動をとる人が多かったからです。

身勝手な君主は暴君と称されますが、民のことを考える君主は名君とたたえられます。

 

ただ、一定数は今日の日大アメフト問題と同じように権力をふりかざすトップもいたようですが…。

でも、そういった武士道による美徳もあったとも忘れてはいけないと思います。

 

 

もう一つは、上からのトップダウンによって日本は発展してきたところが大きい、ということです。

日本はこれまでいくつもの危機に面してきましたが、その中でも特に痛烈だったのは江戸時代末期からの開国に伴う欧米諸国からの植民地化の危機戦後からの復興であったと思います。

 

どちらとも、その危機を乗り越えるために、政府や大商人・大企業などが中心になって制度作りや経済の活性化を実現させてきました。

その実現のうえで、トップに立つ人たちは強力なリーダーシップのもと多くの人をひっぱっていくことがどうしても必要でした。

 

誰もが好きな意見をただいうだけじゃ急発展はできなかったのかもしれません。

 

 

つまり、こうした「上の人の言うことに逆らうことが出来ない」という伝統にはそうでもしなければならない理由があって、それがあったからこそ今の日本ができてきた、ということは事実なのではないでしょうか。

 

それを理解すれば、その時代ごとに適切な考え方がある、ということがわかるはぜです。

ただいまはそれが必ずしも正しい時ではない、ただそれだけのこと。

 

個人的には武士道に通ずる先人を敬うことは大切なことだと思っています。

そういった大事な所だけは残して、今の時代にそぐわないところはきっぱり捨て去る、ということができたらいいんじゃないか、そう思います。

 

まあ今回の日大の一件のようなところは捨て去るべきだと思いますけどね。