本から明日をつくる

《経済学の大学院を修了しベンチャー企業で働く管理人》が、“ビジネス”と”人生”を深くする教養をお届けします。【様々なジャンルの本から学べる明日に活かせる知識・視点】と【日本と世界のあまり知られていない世界の魅力】を発信しています。

かつてのドイツの戦争の裏にあった背景は豚とジャガイモ??

今日はドイツの第一次世界大戦とその後のお話を。

 

第一次世界大戦でドイツが破れ、その後の戦債(イギリスやフランスへの賠償金)で苦しみ、やがてヒトラー率いるナチス・ドイツが政権を握るのは有名な話ですよね。

そして、その後ユダヤ人の迫害や第二次世界大戦と歴史上類を見ないほどの悲劇へと向かってしまいます。

 

ドイツはなぜ戦争に走ったのか、について言及した本や論文は数多くあります。

そんな中でちょっとかわった視点からその原因に迫ったものがあるので、その説を紹介していきましょう。

 

 

原因は民衆の”飢え”

そう、その説とは、民衆の”飢え”にあったとするものです。

国家の政策や経済体制、国際関係などももちろん無視できるものではないけれど、民衆にスポットをあてているというところが研究的には面白いところです。

 

第一次世界大戦は史上初の総力戦戦争であったので、戦争が長引けば長引くほどそのつけは国民全体にまわってきます。

海外からの作物輸入は遮断されて本格的に食べ物がなくなっていきます。

 

その結果、1916年から17年にかけた冬、ドイツは70万人から80人万人の餓死者が出てしまったと言われています。

 

夏になっても食糧不足は続き、ベルリンの食料店の前には長い行列ができたほど。

f:id:honkaraasuwotukuru:20180524202040j:plain

 

ドイツといったらソーセージ、というのは本当で、ドイツ人たちは豚が食べたくて仕方がなかったそうです。

しかし、豚が食べるジャガイモなどの摂取エネルギーが、当時のドイツ人たちが食べているものからの摂取エネルギーをこえているという考えが広まり、豚を殺してしまおうということがおこったほど。

 

豚を食べたくても豚の餌まで補っている余裕があるほど、当時のドイツ人たちにはお金もなく食料もなかったのです。

 

第一次世界大戦の終盤になると、ドイツでは1918年に革命がおこり、ワイマール共和国となります。

この革命も、大衆的蜂起によるところが大きいのです。

 

飢えに苦しんだ大衆は革命をしてまでも現実を変えなければ自分の生命が脅かされると感じていたのかもしれませんね。

 

 

飢えへのトラウマはナチス・ドイツ

ドイツ国民の多くは飢えに苦しんだトラウマを残したまま戦後のドイツを生きていました。

そして、どこからか、飢えに苦しんだ自分たち飢えに苦しむことのないお金を持っているユダヤという考えが広まりだしていくのです。

 

自分が苦しいときに自分よりもいい思いをしている人を妬んでしまうのは人のサガなのでしょうか…。

 

そして、そうした反ユダヤ人感情をうまく誘導したのが、アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権でした。

 

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180524204723j:plain

 

ヒトラーユダヤ人を強制収容所に連行し、大虐殺を行ったのは周知の事実。

しかしその悲劇のおおもとにあったのはそうした飢えへの、生命が脅かされる恐怖への民衆たちのトラウマがあったのかもしれません。

 

民衆が飢えに苦しんでいると政府への不信が募り、下手したら革命まで起きてしまう(というか実際に起きたわけです)ことをよく理解していました。

だから彼が政権を握ってもすぐに戦争の準備に移ったわけでなく、まずは国内経済の回復に努めました。

 

ヒトラーが政権を握る1933年のときはまだ国内で豚を食べつつ豚を食べる余裕はなかったそうです。

その3年後、ヒトラーは経済回復を達成するわけです。

 

こうして考えると、食べ物というのがいかに大切かわかります。

今の日本では文字通り食べ物があふれかえっているわけですが、こういう時代があったことも忘れてはいけませんね。

実際日本でも昔いくらでも似たようなことはありました。

 

生命への危険が人を本質的に動かす

この話からはそんなことを生べるかもしれないですね。

 

”人口ボーナス”って何? これでアジアの経済成長の3分の1が説明できてしまう!

突然ですが「人口ボーナス」という言葉をご存知ですか?

 

このあまり聞きなれない言葉の現象が、実は1990年に至るまでのアジアの経済発展に深くかかわっていると言われています。

なんで韓国台湾が急成長したのか。

なんでこれからフィリピンインドネシアの経済成長が期待できるのか。

 

こうした経済成長を人口学の観点から見てみると新しい一面が見えてきます。

 

ちなみにこの人口ボーナスの話は以前紹介した大泉啓一郎著『老いていくアジア』に詳しく記されています。 

 

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

 

人口ボーナスの仕組み

それでは人口ボーナスとは何なのか。

ざっくり言うと、

たくさん子どもが生まれた世代が大人になって働くようになったとき、そのとき生まれている子ども世代の数が少なくなっている

             ↓

国内で働ける人の割合が増えるから、経済成長率が上がる

ということです。

 

まだあんまりピンと来ないかもしれません。

ここで言っている現象はまだまだ貧しかった国から発展し始める段階にあるアジアの国々を前提としていることを今一度強調します。

 

それを前提としたうえで、経済成長に伴う人口推移グラフにするとこんな感じです。

f:id:honkaraasuwotukuru:20180523220559j:plain

左の頃はまだたくさん子どもも生まれる(アジアは70年前とかは一つの過家庭に5人くらい子どもがいたと言われています)けど、先進的な医療が入ってきていないからその分たくさんの人が死んでしまう社会(多産多死)です。

だから左の頃は人口増加率は低いですよね。

 

さて、そこからだんだん医療が発展すると、たくさん子どもが生まれるけど、かつてほど死ななくなる(多産中死)ようになります。

その状態では人口が急増しだし、貧困の悪循環に陥りだします。

そりゃ突然家族が増えてそのぶん生活費もかさむので所得がおいついてこないわけです。

今のアフリカの多くがあてはまる状態ともいえます。

 

そこで当時のアジアの多くの国がとった策、それは人為的な人口抑制政策です。

中国の一人っ子政策などがすぐ思いつくかもしれませんが、何も中国だけでなく、韓国やタイなど他の国も同じような政策をとったんですね。

 

そうなると、強制的に中産中死の状態にその国は入ることになります。

そのとき、ちょうど人口抑制が始まる直前にたくさん生まれた最後の世代がいわゆるベビーブーム世代となって多くの人口を占めるようになるわけです。

 

つまりそのベビーブーム世代の人たちが働くときには、子どもも少なくなっているから、一家に配分される所得も昔のように困ることはなく、お金もたまるようになっていって豊かになる、ということです。働く人の割合もたくさんいるから国としても経済成長しやすい環境が整います。

 

これこそが人口ボーナスのメカニズムです。

 

これでアジアの経済発展の3分の1が説明できてしまうそうです。

人口という観点から経済を見てみるとおもしろいですよね。

 

 

やがて訪れる高齢

しかし人口ボーナスは永遠に続くわけではありません。

ベビーブーム世代が働かなくなったら、まさにもうそのボーナス期間は終わってしまいます。

 

そう、そしたら次にその社会に訪れるのは高齢化社会です。

 

日本でもさんざん少子高齢化と言われていますが、強制的な人口抑制をおこなって人口ボーナスを発動している以上、高齢化社会の到来は免れないのです。

何事もドーピングには反動がつきものということでしょうか。

 

日本だけでなくアジア全体で少子高齢化は社会問題です。

そして、解決する、というよりはどう向き合うかが大切な社会問題です。

 

こうやって人口という観点から見れば、少子高齢化問題も新しい見方ができそうですね。

X JAPANの30分を超える超大作ART OF LIFE

今日はXJAPANのART OF LIFEという曲を久々に聞いたのですが、何度聞いても衝撃が走るので思わず記事にしてしまいました。

 

XJAPANって聞いて、何それ?ってなる人は少ないんじゃないでしょうか。

ToshIが洗脳から脱出した話や、YOSHIKIの世界的な活躍など、話だけなら聞いたことある、ってなったりするかもしれません。

 

ちなみに、ToshIが洗脳された過去に関する事実を本にしており、読んで洗脳の恐ろしさを思い知らされました。

以前記事にも書いたのでよかったら!

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

さて、今回話したいのはそんなXJAPANの30分にわたる超大作、ART OF LIFE

これ、とんでもない曲なんです。

 

 

youtu.be

 

まず30分に及ぶロックの曲とかなかなか聞かないですよね。

というか、もはやこの曲を果たしてロックと簡単に片付けてよいのかどうか。

 

聞いていただければわかりますが、中盤のYOSHIKIのピアノソロがとにかくすごい

クラシックへの教養がなければあんなピアノソロは作れません。

不協和音をピアノソロに取り入れており、ピアノソロは絶望や怒り、不安などを表しているようにも思えます。

 

それもそのはず、このART OF LIFEという曲はYOSHIKIの半生を表現した曲であると言われています。

幼少期に父親が自殺し、人生において常に死というものが近くにあったYOSHIKIの人生そのものがこの曲であるのかもしれないですね。

 

 

この曲が、そしてXJAPANが多くの人を惹き付けるのは、彼らの音楽にある普遍性であるように思えます。

一見ただただ激しいロックかと思いきや、所々でみせる美しさや儚さは、XJAPANにしかないように感じてしまいます。

そしてそれを特に感じることができるのがこのART OF LIFEです。

 

もはやロックでもあり、クラシックでもあるような、そんないつの時代、どんな人の心をも揺さぶるようなART OF LIFE

ぜひ聴いてみてください。

【書評】小さな声に耳を傾けてこそ見える世界~中村安希『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日』

今回紹介するのは、中村安希『インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日』集英社)です。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180517170344j:plain

 

この本は著者が684日かけてバックパッカーで世界一周したノンフィクションです。

第七回開高健ノンフィクション賞を受賞した作品でもあります。

 

こんな観光地にいきました~!とかじゃなく、著者が旅先で出会った人々とのやり取を中心として構成されていて、素直な感じたことを書きつらねた一冊です。

 

 

要約

  • モンゴル、中国に始まり、東南アジア、インド、中央アジア、中東を巡り、アフリカをまわった旅の記録
  • 旅先で出会う現地の住人や旅行者とのやりとりの話が中心
  • 大切なことは「小さな声に耳を傾けること」であり、目の前の人にちょっとした思いやりをもつこと

 

 

小さな声にそっと耳を傾けること

「大きな声で話すばかりがコミュニケーションではないんだね。小さな声にそっと耳を傾けること。むしろ、それこそがコミュニケーションの核ではないかと、僕は考えている」

(『インパラの朝』p13より)

筆者がカリフォルニアの大学に行っていたときの先生のこの台詞から始まるこの本ですが、「小さな声に耳を傾けること」が旅の動機でもあり、全体を通じたテーマでもあると感じました。

 

この本は上でも既述したように、旅先で出会う人々とのやりとりや会話、それに伴う出来事が中心となっています。

そのためか、章が変わると、「前の章とのつながりはどうなっているの?」「どうやってそこまで行ったの?」「どれくらい時間がたったの?」と感じることも多々あります。

 

でもそれでよいのでしょう。

筆者が伝えたいことは、大切だと思っていることは、「小さな声に耳を傾けること」であり、世界にはこんな人がいて、こんなことを考えて暮らしているんだ、ということだろうから。

 

最近、インターネットやSNSの発達などで世界中の情報を、ーそれこそアフリカまでー、手に入れることができます。

だからぼくたちはあたかも知った風に勘違いしてしまうんですよね。

そこに住んでいる人たちのことなんて本当は何もわかってもいないのに。

 

ぼくもよく知った風で発言したりしてしまうので反省です。

ネットが発達して世界中のことを知れるようになった今だからこそ、小さな声に耳を傾けることは大切になってくるのかもしれないですね。

 

 

たすけるってなんだろう

筆者は約2年にわたる長旅をして世界中を見て回りました。

そのなかで数えきれない人たちと出会い、その小さな声に耳を傾けてきました。

 

耳を傾けるって言っても、ただただ貧しいからたすけてあげるね、とかじゃなく、それは違うと思ったことはNOと言うし、いやだと感じたら正直に嫌だと言います。

そんな正直さもこの著者の魅力の一つかもしれません。

 

そんな著者がユーラシア大陸を経てアフリカで感じたこと、学んだこと。

一番この本で伝えたいのはその部分ではないだろうかと思います。

それは、「豊かさの意味」でしょう。

 

筆者はアフリカで度々、アフリカの貧困撲滅をうたい支援を目的としたNGO団体の人々を見かけることになります。

筆者も当初はアフリカの貧困の惨状を確認して世界に発信しようと考えていました。

 

しかし、筆者は気づくことになるのです。

そういった「世界の平和と安定」を掲げた先進国の支援というのは、自国の権威を強調するため、道徳心をアピールするための延長線上にあるものにしかすぎないと。

 

そして同時に、アフリカの人たちは思ったほど不幸な顔をしてなくて、それぞれに「思いやる気持ち」を持っている、ということに気づかされたのでした。

筆者は「アフリカは教える場所ではなくて、教えてくれる場所だった。助けてあげる対象でなく、助けてくれる人々だった。アフリカは貧しい大陸ではなく、圧倒的な豊かさを秘めた、愛されるべき大陸だった。」と述べています。

 

助け合うということは予算額の大きさでもなければ、慈悲の精神の量でもなければ、見せびらかすものでもない。

それぞれに「思いやる気持ち」を秘めていて、目の前で困っている人にそっと手を差し伸べること、それが助け合うことだ、と主張します。

 

このことは本当に心に刻まなければいけないことだと感じました。

 

この世界には本当に心から世界を変えなきゃとおもって行動しようと思っている人はたくさんいるます。

そういった志がある人たちの行動はもっと正当な評価を受ける世の中になるべきだし、そういう人たちにこそ正当な対価が払われるべきだと思います。  

だから何も困っている人を助けようとちゃんと考えている人の取り組みは、ぼくは積極的に賛同しています。

 

しかし、国やメディアが宣伝のために、自己アピールのためにそういう人たちの良心を利用して「支援活動」を行っている一面もあることを忘れてはいけません。

 

そして、心からなんとかしようと思うならば、謙虚に、そのうえで目の前の小さな声に耳を傾けることを忘れずに、本当に目の前の人のためになることを、やっていく必要があるのだと、この本から教わりました。

 

旅行記にして、ただの旅行記にあらず。

そんな一冊とであることができました。

TOYOTAが描く次世代の自動車e-Paletteは移動の概念を変えてしまう!?

今日はあるシンポジウムで面白い情報を知ったのでその話を。

 

それは何かというと、今年の2018年1月にアメリカで開かれた2018 International CESという催しで、TOYOTAが発表したe-Paletteというモビリティーサービス専用EV(次世代電気自動車)です。

newsroom.toyota.co.jp

 

 

これだけ言われても「なにそれ?」というかんじですよね。

少し説明しましょう。

 

このe-Paletteは、電動化、自動運転技術を備えている次世代型の自動車です。

しかも所有するための車でなく、用途はあくまで移動のためのタクシーのようなもの。

故にモビリティー専用とTOYOTAは言っています。

 

では何がどうすごいか。

まあ見てもらった方が早いでしょう、こちらの動画がTOYOTAが発表したe-Paletteのデザインです。

www.youtube.com

 

はんぱないですよね。

e-Paletteの中には様々なニーズに合わせた内装が整備されています。

そして誰も載っていなくて自分が受けたいサービスを搭載しているe-Paletteをスマホで呼べば自動運転で自分のもとにやってきて、e-Paletteに乗りながらそのサービスを受けられるという仕組みです。

 

移動とサービスを組み合わせた次世代型自動車です。

まさにドラえもんのタイムマシンで未来にいったときに走っているような車ですよね(さすがに宙に浮いてはいないけど)。

 

少し具体的な場面を想定してみましょう。

 

e-Paletteが実現したら

今日は新しい本でも買いたいけど、たまにはAmazonのネット注文ばっかりじゃなくて実際に見て選びたい…。

そうだ、e-Paletteを呼ぼう。

 

そう思い立ってスマホで家の近くに本を積んだe-Paletteを呼んだらすぐにやってきた。

e-Paletteの中に入ればたくさんの最近話題の本が並んでいる。

 

e-Paletteは職場に向かって自動運転で走り出し、その間に色んな本を手に取り読んでみる。

この車の中は僕以外誰もいないから何も気にせずに自由に過ごせる。

 

そうして買いたい本が決まったころ、ちょうど職場の目の前に着いたようだ。

もちろんスマホで本の値段は自動引き落としだし、欲しくなった本を手に取り、e-Paletteを降りて職場に向かう。

今日はいい一日の始まりだ...。

 

なんてことが、e-Paletteが街の中を走るようになれば、実現されてしまうかもしれません。

もちろん本に限らず、TOYOTAが制作した動画のようにファッションを選ぶこともできれば、仕事や研究をする専用のe-Paletteまで用意されます。

 

内装もTOYOTAと提携したサービス事業者のニーズに対応した内装にできるので、その時欲しいサービスを移動中に提供してもらうことが可能になるわけです。

 

 

移動の概念が変わる

スマートフォンの登場、eコマースの普及によって、家にいても色々なサービスを受けることが最近になりできるようになり、物流に革命がおこったとも言われています。

 

しかし、このe-Paletteの登場は更に家にいるときだけじゃなく、移動の時間までサービスを受ける時間にかえてしまいます。

もう歩きスマホとかそういう次元でありません。

移動の概念がそもそも変わります。

 

TOYOTAはモビリティーサービスパートナーとして、AmazonピザハットUberなどと提携していくようです。

2020年には一部の機能を搭載した車両を東京オリンピックパラリンピックのモビリティとして実現させることを計画しているとのこと。

 

そう遠くない未来に、またおもしろいことがおこりそうです。

❮旅❯韓国旅行記③~意外と知られていない世界遺産の城郭都市、水原

今日はいい天気ですね。

太陽が気持ちいので久々に布団を干してきました。

 

そういえば以前韓国で北朝鮮との国境付近に行った記事を書いたときに、他に行った記事も書きますね~と書いたことをいまさら思いだし、記事にすることにしました。

 

前の記事はこちらです、ぜひ読んでみてください!

 

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

honkaraasuwotukuru.hatenablog.com

 

今日紹介するのは世界遺産の城郭都市、水原です。

水原、と書いて、”スウォン”と読みます。

 

なんとここ、特急列車を使えば首都ソウルから30分で行けちゃうところにあるのです!

ソウルを京都とするなら水原は奈良といったところでしょうか。

 

そんな水原にソウルから日帰りでいってきました!

 

特急列車で水原へ

 ネットで調べると行き方はバスのツアーとかもでてくるのですが、今回ぼくは電車で行ってきました。

 

電車も色々あって、特急列車から普通の地下鉄までいろいろあります。

そのなかでも2004年に開通したソウルとプサンを時速300キロでつなぐKTXにせっかくなので乗ってみたい!

 

と思っていたのですが、計画性がなくチケットはもう売り切れていたので、一段階ランクを落としたヌリロ号というやつに乗りました。

それでも日本と比べたらすごい安いし、中も結構綺麗なので満足です。

 

ちなみにKTXはこちら。悔しかったので写真だけ取りました。

フランスの高速鉄道をそのまま使っているのでとてもかっこいいですよね!

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175136j:plain

 

さて、30分ほど電車にゆられれば、もう水原に到着です。

駅からは徒歩で行きます。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175217j:plain

駅周辺の街並みはこんなかんじで日本の上野のアメ横とかとちょっと似たものをかんじました。

 

さあ、あとは地球の歩き方を頼りに水原を目指します。

地図的には徒歩20~30分かなってかんじ(実際それくらいでした)なのでざっくりと世界遺産の方へと歩いていきました。

 

城壁に囲まれた世界遺産の街並み

水原は城壁都市と聞いていて、しばらく歩くとそれっぽい山があったのでそれをとりあえずのぼることに。

すると石の階段が見えてきたので、ここだ!と思って登っていきます。

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175319j:plain

 

これが結構段数があってわりと疲れる、、。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175357j:plain

振り返ると、結構高くまで来ていましたが、前日の夜雨が降っていたので街には霧がかかっていました。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175419j:plain

それでもめげずに登り切ったら、ちょうど門が現れました。

とても雰囲気在りますね。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175451j:plain

その先には道が続きます。

霧が幻想的な雰囲気をだしていてとても絵になりました。

 

 

さて、しかしネットで見たような大きな門とか、建物とかが見当たらない、、

とさまよっていたところに、現地の人が話しかけてきてくれて、丁寧に教えてくれました。

「こっちは水原華城の裏側だよ、逆方向に降りていかないと。」

 

どうやら山を登っているうちに勝手に裏側の城壁にたどり着いてしまったようです(笑)

さっきの門は街をとりまく城壁の一部だったようです。

 

ということで逆方向に降りていくと、やっと出会えました、ついに世界遺産の街並みとご対面(街並みの写真撮り忘れた最高のあほです)。

 

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175522j:plain

こちらは見どころの一つの華虹門

水門から流れ出る水しぶきが虹のように輝いていたことからこの名前が付いたそう。

 

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515175545j:plain

ちなみに水しぶきは普通の水しぶきでした。

 

ここでいったん、水原についてもう少し説明を。

水原市の中心部を取り囲むように城壁がたっていて、それを華城(ファソン)と呼びます。

もちろん城壁の中は普通の街なので、お店や学校などもあります。

 

この華城は朝鮮王朝後期の1794年に正祖という王が父を悼んで築いたと言われています。

朝鮮古来の建築方法と当時の近代的な中国の建築技術をハイブリットさせたもので、その建築的な価値から世界文化遺産に登録されているようです。

 

 

さて、ぼくの話に戻りましょう。

次に行ったのは、ドラマ「チャングムの誓い」の撮影スポットにも使われた華城行宮です。

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180302j:plain

 

ここは王が行幸に行く際に宿泊のために使ったりした場所だそうです。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180331j:plain

ちょうど平昌オリンピックの時期だったので、マスコットキャラクターがいました。

 

中に入ると、昔の朝鮮王朝の頃の建築を見学することができます。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180747j:plain

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180813j:plain

ところどころに、チャングムの誓いなどにでてきたキャラクターの模型がおかれていました。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180847j:plain

 

ちゃんと説明付き。

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180905j:plain

水原に行ったらカルビを食べよう!

さて、水原は広いのでだんだん歩き疲れておなかが減るでしょう。

そんなときに是非食べたいのが、スウォンカルビ!!

水原の一大名物です。

  

ぼくはこのお店に行ってきました。

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515180949j:plain

 

スウォンカルビの特徴はなんといっても醤油を使わないヤンニョムベースの味付け!

そして骨付き肉の大きな肉を定員さんが一口サイズに切って焼いてくれること!

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515181020j:plain

 

普通のカルビとちょっと違ってしょっぱさと甘辛が混ざったようなとてもおいしい味付けです。

 

スウォンカルビを食べて大満足したので、駅に向かって帰ることに。

すると道の先に現れたのが、 

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180515181055j:plain

 

この大きな門。というかこれが一番有名なやつで、入り口でもあったのでした。

最後の最後に大きな見どころを逃すところでした。

 

ラッキーというか、無計画というか・・・(笑)

皆さんは見たいポイントは必ず押さえてからいきましょうね!

故ホーキング博士の最後の論文「ビックバン以前に時間はなかった」

今日ネットサーフィンをしていると海外のニュースサイト、DAIRY STAR SUNDAYで面白い記事を見つけました。

 

今年2018年の3月14日に亡くなったスティーヴン・ホーキング博士が、亡くなる2週間前に論文を書いていた、ということが書かれていました。

www.dailystar.co.uk

 

僕は理系の学問はほとんどわからないし、実際にその論文を読んだわけではなくあくまでこのサイトに書かれていたことしか読んでいませんが、そのサイトに書かれていたことを中心に少し紹介していこうかと思います。

 

 

そもそもホーキング博士とは?

f:id:honkaraasuwotukuru:20180514224350j:plain

*1

 

ホーキング博士をご存知の方は多いかもしれません。

車椅子の物理学者として知られる彼は、学生の頃に筋萎縮性側索硬化症という通常なら5年で死んでしまうような難病を患ってしまいます。

ところが、病気の進行が弱まったことで、難病と闘いながらも多くの研究業績を残し、一般人に対しても多くのスピーチをしてきました。

 

研究としては、「ブラックホール素粒子を放出することで勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」というホーキング放射理論をはじめ、現代の宇宙理論に大きな影響を残したと言われています。

 

また、「人工知能が人類を滅ぼす」「宇宙人とコンタクトをとる危険性」など、一般の人向けに専門の宇宙学にとどまらず、多くの発信を続けられました。

 

難病を患いながらも、自分の才能を最大限に発揮してきたその姿は多くの人たちに希望を与えてきたことでしょう。

 

 

ビックバン以前に時間は存在しなかった

そんなホーキング博士ですが、今年の3月14日に76歳でこの世を去りました。

その死の2週間前に彼は最後の論文を残しました。

 

その論文によると、ビッグバン以前には時間のようなものは存在しなかった、とのことです。

 

f:id:honkaraasuwotukuru:20180514224208j:plain

 

時間が存在しないとは、という感じですよね、人間にはなかなか実感しづらいものであります。

時間がない、ということはモノの流れそのものが存在しないわけです。

「無」の世界、とでもいえばよいのでしょうか。

想像しただけでも不思議なかんじです。

 

DAIRY STAR SUNDAYによるとホーキング博士は以下のように主張したようです。

“Since events before the Big Bang have no observational consequences, one may as well cut them out of the theory, and say that time began at the Big Bang.

“Events before the Big Bang, are simply not defined because there’s no way one could measure what happened at them.”

*2

 

ざっくり訳すと、ビックバン以前における事で観察できるものがないから、おそらく時間というものはビッグバンの時に始まったのだろう、ということです。

時間が始まる、という表現はとても不思議な感じですが、時間ってそもそもなんなのでしょうね。

 

あまりにも知識がなさ過ぎてまったく見当もつきません。

今度時間に関して科学的・物理学的に説明している分かりやすい本でもあったら読んでみようかなと思いました。

 

ホーキング博士は生涯をかけて、僕のような一般人にもわかりやすい話で、宇宙への興味を駆り立ててきてくださいました。

彼の偉大な人生に敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りいたします。