【書評】今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である~マルクス・エンゲルス『共産党宣言』
今回紹介するのは、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)です。
「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」
この句から始まるこの宣言は、1848年に発表されてあらゆるプロレタリア運動の指針となった意義深い文であります。
近代化の波が押し寄せ産業資本主義が本格化しだした西欧が直面した諸側面を捉え、労働者たちに働きかけようとしたこの本は、きっと今につながる何かが込められているはず。
そう思うと、別に社会主義者というわけではないけれど、この本は避けては通れません。
古典であり、理解も遠く及ばない本であり、書評などという言葉は大変立場不相応ではありますが、読んで感じ取れたほんの少しのことをここに記していこうと思います。
要約
- 資本主義が発達する中で、ブルジョワ(産業資本家)とプロレタリア(労働者)との対立・階級闘争がおこった
- 労働者は搾取を脱却するために団結し、革命を行う必要がある
- 私有財産の廃止等々を通じて最下層のヒエラルキーであるプロレタリア階級は支配階級となり、故に階級から人々は解放される
付け加え続けられる序文
岩波文庫の『共産党宣言』は本宣言文に入る前に、各国で翻訳・出版された際に付け加えられら序文が掲載されています。
1883年ドイツ語版への序文、1892年ポーランド語版序文、といったかんじです。
この序文は大変重要な役割を果たしていました。
なぜなら、著者のマルクスやエンゲルスが、最初に発表された1848年から数十年たっただけでも社会情勢があまりにも大きく変わりすぎていると考えていたからです。
1848年は二月革命や三月革命がおこり、国民国家の形成という潮流に一つの区切りがついた非常に意義深い年です。
この二月革命直前に発表された共産党宣言ですが、数十年たって新たに発行される間には、フランスにおけるパリ・コミューンの失敗(労働者階級が政権を握ったはいいものの労働者の目的のために政府を動かすことはできない、ということがわかったのです)などを経て、いささか時代遅れの面もあると、マルクス・エンゲルスは自覚していました。
それについて言及したのがこの序文であります。
そして、それでも歴史的にこの宣言は重要なものだから改変できるものではないと述べています。
今でも優れた実用書が10年たってしまったら、その書かれたことが現実にはそぐわなくなってしまった、なんてことはある話です。
しかしそれは今に限らず、100年以上も昔からあった話だったのでした。
この本の趣旨ではないけれど、つねに、それもおそろしい速さで、時代は変わり続けるものである、ということを教えてくれます。
そして、それと同時に、時代を越えても正しさを失わない原理・原則がある、ということも教えてくれているのです。
搾取する人と搾取される人
共産党宣言を読むと人類の歴史は常に支配・搾取をする人と、される側の人が存在してきていることを思い知らされます。
かつては諸侯と農奴という封建的支配関係が、そして共産党宣言がだされたときは資本家(ブルジョワ)と労働者(プロレタリア)という産業資本主義における搾取関係です。
こういった歴史的な理論は第1章のブルジョワとプロレタリアから読み取ることができるのですが、こういった搾取を受ける大多数の労働者を開放するのが共産主義であるとマルクス・エンゲルスは考えたわけです。
今の時代では、共産主義とか耳にするとあんまりいいイメージを持たない人も多いと思います。
しかし、共産党宣言を読む限りにおいては、共産主義は搾取に苦しむ人々を階級的な支配関係から解放させるための実践手段であって、そうした弱者を救うための理念であったと解釈できる気がします。
実際に第2章を読み進めてみると、共産主義に基づいて、労働者が支配階級に到達するには私有財産の廃止が必要である、といったような具体的政策にも言及しています。
あくまで共産党宣言は実践をうながすための実用的な指針であったことが分かります。
また、共産党宣言の中で、共産主義について以下のように述べています。
共産主義はだれからも、社会的生産物を取得する権力を奪わない。ただ、この取得によって他人の労働を自分に隷属させる権力を奪うだけである。(p.67)
今でこそ共産主義と言うと自由がない代わりに得られる平等、みたいなイメージがありますが、この文が表している通り、マルクス・エンゲルスの狙いは、何者かに支配されることなく自由を手にするにはどうすればいいか、ということを第一に考えていたのかもしれませんね。
まとめにかえて
じゃあ、共産党宣言がだされてから150年以上たった現代において、支配・搾取関係はなくなったのでしょうか。
今は民主主義、自由経済で好きなことができる、個人の自由は憲法によって保障されている。
そう考えれば、昔よりはだいぶよくなったのかもしれません。
しかし、いまだに人は生きていく上で資本主義に縛られ、お金のことに頭を悩ませ続けている人が数えきれないほどいることもまた事実です。
更に経済構造は複雑化し、昔のような搾取する側の人々の実態は見えづらくなっています。
結局のところ、ぼくたちは資本主義社会の中で生きていく上では、価値軸が資本である限り、一定のお金がないと、かつてのプロレタリアのようにお金というものに縛られ、搾取されてしまう存在であることにかわりはないのかもしれませんね。
これからの時代は、むしろ価値軸をお金から別のものに変えた方が生きやすい時代がくるかもしれないな、と思うのでした。