東京のドヤ街山谷にあった居酒屋”世界”はどんなとこ?まさかの父親が語ってくれた
こんにちは!
GWはいかにお過ごしでしょうか。
僕は久しぶりに家族で焼き肉に行ったりしてきました!
今日はそこで飲みながら父親と話したときに聞いたことのお話です。
労働者の街として賑わっていた昔の山谷は、人に大切なもは何なのか教えてくれた、というそんなお話です。
学生時代の父親がバイトしてたらしい
この間東京のドヤ街、山谷に行ってみたという話を父親にしました。
ドヤ街というのは、安い簡易宿泊施設が集まっている地域のことで、その安い宿を求めて日雇い労働者の人たちが集まります。
かつての高度経済成長期の建設業を支えた日雇い労働者たちで、今は高齢者となって多くの人が生活保護を受けながら山谷では生活しているのでした。
この間行ったときは、昼間から道端でお酒を飲んでいる人たちがいる、そんなところでした。
詳しくはこちらの記事に書いたのでよかったら
honkaraasuwotukuru.hatenablog.com
さて、この記事で紹介している世界本店という店名のセブンイレブンがあります。
なぜ世界本店という店名なのか。
そのわけはセブンイレブンになる前にその場所にあった居酒屋の名前が”世界”という名前だったからそう。
ネットで調べてもその世界についての情報はあんまりないかなっと思っていたところ、なんと僕の父が学生時代そこで働いていたと昨日知りました!!
さすがにタイミングといい、場所といいびっくりすぎ!!
父が大学に通っていた約40年頃前、交通の便の関係もあり、たまたま新聞の募集蘭かなんかに掲載されていた居酒屋世界でバイトをすることを決めたそうです。
居酒屋”世界”は労働者たちの集まる場所
このセブンイレブンが世界本店です。
父曰く、セブンイレブンがある大きな黒い建物全体がかつては居酒屋”世界”だったらしく入り口も二つあったらしいです。
この写真を見ながら「そんなに変わってねぇあ」と懐かしそうに話していました。
ここはドヤ街山谷の入口にも相当しますが、ここは労働者たちが毎晩毎晩集まって飲んでいたそうです。
父は午後4時から10時とかでバイトをしていたようなのですが、ちょうど仕事から帰ってきた男たちが飲みにやってくるんです。
その頃(1980年頃)は朝になると「仕事あるよー、仕事仕事ー」というかんじで、まるで繁華街のキャッチのごとく、日雇い労働を求めて集まっている男たちを山谷のその場で捕まえて、車に乗せて仕事に向かっていたそうです。
今ではなかなか考えられないですね。
そんな日雇い労働者たちの一日の楽しみといったら酒を飲むことだったのでしょう。
店内は労働者たちでいつも賑わっていたようです。
居酒屋”世界”はとにかく安かったらしく、焼酎の水割りが45円とか、安いおつまみは10円くらいかららっきょとか、梅干しとかが提供されていたとのこと。
ビールは200円くらいしたらしく、ビールを飲む人はお金持ってるな、という印象だったみたいです。
お店の中は木でつくられたカウンター、というかんじだったらしく、昔ながらの居酒屋を想像しています。
お客さんのなかには喧嘩とかしだしてたまにビール瓶で殴りあったりとかもあったと聞いてびっくりしました。
それが日常の一部なのか…。
ちなみに、ビール瓶で殴られてもきれいに割れるとその人はケガしないらしいです(笑)
とはいえ、そういう喧嘩したり、アル中になっているようなお客さんは全体の2割くらいらしく(とはいえ多い)、残りの人たちはただただ飲みを楽しんでいるというかんじだったとか。
人との触れ合いを求めて
僕の父は、そんな労働者たちと接しているうちに彼らには人との触れ合いが足りなくて、それを求めにこういうところに来ているのではないか、と思ったそうです。
彼らは一人身の労働者であることが多く、安い宿に住んでいるようなものだから、帰るべき場所、待ってくれている人がいないことがほとんどなんですね。
だから彼らには人との触れ合いというのが足りていなかったのかもしれません。
その証拠に、僕の父が何か優しく話しかけるととても嬉しそうに反応されることが多かった、と語っていました。
本当に人にとってつらいことは、経済的な貧しさなどではなく、人と人との関係がなくなってしまうこと、孤独になってしまうこと。
そんなことを父は話していました。
いま、ドヤ街の宿には当時の日雇い労働者が高齢者となって生活保護を受けながら暮らしている人が多いそうです。
そして、人知れずひっそりと亡くなっていってしまう、そんなことも問題視されています。
それはもはや山谷に限ったことでなく、日本全体で問題となっていることです。
こんな時代だからこそ、人と人とのつながりを再び見つめなおしていかないのかもしれませんね。