❮行ってみた❯東京のドヤ街、山谷の今の姿は?思った場所とは違った今の姿
突然ですが、ドヤ街という言葉をご存知ですか?
Wikipediaによると、
ドヤ街(ドヤがい)とは、日雇い労働者が多く住む街のこと。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さ言葉であり、旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいることに起因する。東京の山谷、横浜の寿町、大阪のあいりん地区が特に有名である。
とのことです。
安く泊まることができる簡易宿を求めて日雇い労働者や職がない人々が集まった地域と言えます。
この日雇い労働者というのは高度経済成長期を裏で支えた建設業などにたずさわっていた人が多いようです。
日本を裏で支えた人々と言えるでしょう。
スラムとはまた異なるドヤ街、ネットで調べれば炊き出し、汚い、治安の悪さ、ホームレス、生活保護など、マイナスイメージの色々な情報がヒットします。
じゃあ東京を代表するドヤ街、山谷(さんや)とはどのような場所なのか。
気になったので東京で一人暮らし中の僕は、自転車を飛ばして行ってきてみました。
今日はそんなお話。
行くきっかけになったニュース
先日の夜、バンキシャ!というニュース番組を見ていたら、ちょうど山谷に関するニュースが放送されていました。
その番組によると、山谷にかつて住んでいた労働者たちは今や高齢者となり、安い宿に住み込んでいる人々が多いとのことです。
取材を受けていた男性は一泊2200円の宿に泊まり続けているそう。
テレビ情報だと山谷に暮らす人は約4200人、平均年齢66.1歳、その9割が生活保護受給者とのことです。
その一方で最近は安い宿を求めて海外のバックパッカー旅行者の宿舎が増えているらしいです。
変わりつつある山谷、その実態はどうなんだろうか。
そのことが頭から離れず、昨日昼過ぎ、僕はリュックを肩に自転車に乗り込んだ。
さあ南千住駅から歩いていこう
この話の前にまず山谷がどこにあるか説明します。
山谷という地名自体は実は今はなく台東区の日本堤と清川という場所の一部を指します。
最寄り駅は地下鉄日比谷線の三ノ輪駅やJR常磐線の南千住駅となります。
地図で言うと、この赤斜線のあたりが山谷です。
上野や浅草の近くですね。
ぼくは南千住駅に自転車を止め、そこから徒歩でいくことにしました。
ネットで調べたら山谷では自転車がよく盗まれるとかいう情報があったので…(笑)
南千住駅前は綺麗に整備されていて、高層マンションもあったりしてとてもではないけれどこの近くにドヤ街があるとは思えません。
歩いている人も高校生や子供連れの家族、高齢のご夫婦など様々で穏やかな街というイメージです。
さて、歩道橋を渡って線路の向こう側に行き、上の地図で書いた青い矢印の方向へと向かって歩いていきます。
歩道橋を渡り終わると目の前には東京スカイツリーが。
まだこの辺りの通りは普通の東京の街並みというかんじです。
南千住駅から10分もまだ歩かないくらいに、セブンイレブンが見えてきます。
このセブンイレブン、世界本店という店名で、カップ酒の売り上げが世界一とかの伝説があるとかないとか。
かつてここにあった世界という名の居酒屋にこの店名は由来しているようです。
honkaraasuwotukuru.hatenablog.com
そう、このセブンイレブンが見えたならついにその道の先の両サイドが山谷と呼ばれる地帯になってきます。
今注目の「さんやカフェ」
山谷に入り、向かいたいところがあったのでまずそこへ向かいます。
それは「さんやカフェ」という3月末にオープンしたカフェです。
いや、ドヤ街と関係ないじゃんと思ったそこのあなた。
それが関係あるんです。
このさんやカフェは、ドヤ街山谷に住む日雇い労働者の人も訪れた海外からの観光客も、色々な人がいきかうカフェをつくりたいとの思いが込められつくられたカフェだそうなのです。
この毎日新聞のニュースにも早速取り上げられていて、なんと経済的に困っている人にゴミ拾いを手伝ってもらう代わりに無償で食事を提供する試みも始めているそう。
思いやりをコンセプトにした新たな取り組みです。
このカフェの存在を山谷に出かける前にネットで色々調べていたら知りました。
そんなのもういくしかないじゃないですか。
というわけでまずよりました!
中に入るときれいなモダンな内装で、カウンター以外満員でした。
土曜日の3時前とのこともあり日本人の女性のお客さんが多く、日雇い労働者や外国人観光客はいませんでした。
コーヒーと「さんやプリン」を注文。
さんやプリンは手作りらしく、クリームとソースの相性がたまりませんでした!
自転車でたくさん走ったきた自分へのご褒美だと思っておいしくいただきました。
とてもいい雰囲気の場所でした、今後の更なる活動に注目ですね。
とても賑やかだけど、、靴まつり?
さんやカフェを出た後は、玉姫稲荷神社の方に向かって歩いてみました。
上の地図の③にあたる方向です。
途中で草に包まれた建物が。
よく見るとなんと一泊1700円。そして「自炊できます」。
本当にやっているのか外からは分からないけれど、早速話に聞いていた山谷らしさを感じました。
しかし、歩いているとだんだんお祭りの音が聞こえてきました。
あれっ、なんかやたら雰囲気が明るくないか?
それもそのはず、奥の玉姫稲荷神社で一年に一度の靴まつり市というものが開かれていたのです。
このお祭りの存在は知らなかったのでびっくりしました。
神社の鳥居には大きな幕が掲げられていました。
・・・いや、めっちゃ人賑わってるじゃん。
てっきり山谷って暗い雰囲気が漂っているのかと思えば、いい下町ってかんじの雰囲気です。
訪れたタイミングの問題なのでしょうか。
でもこれも山谷の一つの顔であることには違いないはず。
靴もこころなしか安い値段で売られており、ほんとにお祭り気分でした。
かつての山谷の代名詞、いろは会商店街は今
今のところ山谷にdeepなかんじはあまり感じられません。
今度は吉野通り(上の地図で青い矢印が書かれている通り)を渡って、日本堤という住所になるほうを歩いてみました。
たしかに安い宿がたくさんある。
というか冷静に考えると一泊2000円代前半は異常に安い。
自転車がたくさんあるのはきっとここに住んでいる人たちの移動手段なのでしょう。
二階の窓からはそこに泊まっている人のものであろう洋服がハンガーにかかっているのが見えました。
空室あり、長期宿泊可だそうです。
きっとバンキシャ!にでてきていた高齢者の方もこういうところに住み込んでいるのでしょうか。
簡易宿舎はまだまだたくさんあります。
そしてこの辺りからだんだん道端に座って昼間からお酒を飲んでいる中年~高齢者男性がちらほら見えるように。
ちょっとずつdeepなかんじが見えてきた気がしました。
ブルーシートがたくさんまとまっているところも。
これを見るとホームレスを連想しますが、この持ち主は果たして...。
これはさすがかつての労働者の街山谷というかんじ。
しかし、空いた扉から見える中はもう廃墟という感じです。
労働者の街から高齢者の街へと変容したように、こういった労働運動のような要素もなくなっていったのでしょうか。
ところで、山谷でネットで調べると必ずといっていいほどでてくるいろは会商店街が見当たりません。
どんなに歩いても商店街の屋根付きアーケードがあるところが見当たらないのです。
地図上ではそこだと表示されているのに、というところでも屋根付きアーケードはありません。
それもそのはず、屋根付き商店街は浮浪者などが地面に寝泊まりする場所となっていたことが問題視され、アーケードが街の風通しをよくするために撤去工事が行われ、つい2018年の2月頃にそれが完了したそうです。
つい、こないだじゃないですか。
見てみたかった…。
こうしてだんだんとかつての山谷の姿が失われつつあるのかもしれません。
かつての写真と照らし合わせるとこの通りがかつてのいろは会商店街の入り口のようです。
ちなみに、写真にうつっているパトカーは、ちょうど酒を飲んでへらへら笑って歩いていた男性を職務質問するために止まっていました。
その男性は「しょくしつだってよー」って笑ってました。
そしたらそれを見て「あいつしょくしつされて笑ってらぁ」と笑う男性たち3人ほど。
よく見るとそのうちのひとりはなぜかセーラー服を着ていました。
50、60くらいの男性です。
いや、職質するならそっちだろ。
最後にとんでもなくdeepな山谷を見せつけられました。
まとめ
こうして山谷という街を歩いてみたら、かつての労働者の街としてのドヤ街から、高齢者の街としてのドヤ街になっているのは間違いないようです。
そんな中、さんやカフェのようにこのドヤ街だからこそできる新たな取り組みも始まったり、さらに新たな山谷へと移り変わり始めているのかもしれません。
ただ、そういった中でも変わらないものもきっとたくさんあるでしょう。
あくまで山谷はかつての日雇い労働者で高齢者となった人たちの街。
都会で失われつつある人間臭さみたいなのが、この街にはまだある気がします。
これから東京オリンピックの影響で海外からの観光客が更に増え、それに伴いこの山谷の開発も進んでいくのかもしれません。
東京のドヤ街山谷は時代の流れの中でどのようになっていくのか。
あのセーラー服のおじさんはどうなっていくのか。
変わるものと変えられないもの、そんなものを肌で感じる街、山谷でした。