本から明日をつくる

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【書評】人類史上最悪の虐殺を今の人はどう捉える?~新川加奈子『カンボジア 今ーポル・ポトの呪縛は解けたのか』

本の内容

今回紹介するのは、新川加奈子『カンボジア 今ーポル・ポトの呪縛は解けたのか』(燃焼社)です。

 

東南アジアで最も開発が遅れてきている国の一つのカンボジアに、NGO現地代表として国際援助活動を行った著者が、ポル・ポト政権の現在への影響という観点から書いた本です。

難しい学術書でなく、それでいてガイドブックの情報だけではカンボジアを知るのには物足りない、という人向けといってよい本でしょう。

 

本書はカンボジアという国の特性について、ポル・ポト時代から30年経て被害者と加害者が併存する社会をどう捉えるかについて、そして現在の実態として出現している格差社会について、の3章構成となっています。

 

第1章

カンボジアという国の特性の関して、地理上の特徴や食べ物、言葉、隣国との関係などについて書かれています。

 

カンボジアインドシナ半島の付け根に位置する国で、タイ、ラオスベトナムと接しています。この本によると、カンボジア人はラオス人に対しては優しいけれど、ベトナム人のことを軽蔑し、タイ人は自分たちのことをいじめてくるから嫌いなんだそう。

 

言葉はクメール語ですが、なによりも発音が難しいらしいです。「コ」の発音だっけでも4つもあるということからその難しさが伺えます。

 

国民性は一言で表すなら人当たりが良い、ということになります。穏やかで、和を重んじ、優柔不断というちょっと日本人にも似た国民性なのです。ちなみに食べ物の味付けも日本と似ている部分があります。

 

第2章

和解は敵意から友情への変更である。それは相互の関係において成立し、細工した敵意にあった両方の党の変更である

イーストンによって説明される辞書)

和解とは、恒久的な平和でも調和でもなく、暴力からの離脱の企てである

(ボーマン:プリンストン大学人類学教授)

こうした引用から始まるこの第2章では、ポル・ポト政権から30年たった今、加害者と被害者が同時に暮らすカンボジアにおいて和解とは何を意味するのか、ということについて考えています。

 

筆者によると、カンボジアの資料局が約800人から行ったアンケートの結果では、「殺された親族がいる」と答えた人の割合は89.4%、「ポル・ポト時代のことを思い出すことがある」と答えた人が58.8%といったように、30年たった今でもその傷の根は深いと捉えることができます。

しかしその一方で、「あなたを苦しめたポル・ポト派幹部を許しますか?」という質問に対して「許す」と答えた人が67.2%もいたのです。この事実をどう捉えるべきなのか、そこに「和解」がまだカンボジアには存在しておらず、しかしすべての人が「和解」を切望している、という現状があると筆者は考えます。

 

 そしてカンボジアの3人の若者へのインタビューを通じて、カンボジアの若者のパターンは大きく3パターンに分かれると説明します。

一つは祖国愛からくる無条件貢献型、二つ目は家族愛と海外志向からくるいずれ貢献予定型(この層が増加しつつある中産階級の一般タイプで将来のカンボジア社会を安定させていくのだろうと語っています)、そして三つ目が体験上から経済面重視の現実性貢献型、の3つです。

こうした若者の生き方は親の生き方からの何らかの影響を受けており、加害者と被害者が共存しているカンボジア社会の現実が背景にあると述べられています。

 

第3章

この章ではカンボジア現代社会に現れてきた格差について様々なデータを基に語られます。

ちょっとしたきっかけで富裕層に成り上がることができた人がいる一方で、満足な医療や教育を受けることもできない子供たちやどれだけ働いても生活が向上されない人々がいるのが現代のカンボジアの現状です。

 

そしてこうした現状を受けて、ポル・ポト時代を懐かしむ声が聞こえることがある、と述べられます。そしてそれこそがこの本が書かれたきっかけの一つでありました。

たしかにポル・ポトが目指した社会は何もかも全員平等を貫く「原始共産主義です。

史上最悪の虐殺を体験してでも、かつてのポル・ポト時代を懐かしむというのは、現代耐え難い格差に苦しんでいるという人々がいる、ということの表れであると述べられます。

 

 

そして最後に、カンボジアが東南アジアの中で発展が遅れている要因に言及してこの本を終えます。

その要因として、ポル・ポト負の遺産が大きいこともさることながら、現代と将来に対する妥協が国・個人に及び経済的弱さに影響を与え、悲惨な過去から援助を受けることが当然だという認識が蔓延していることを挙げています。

カンボジアはこれからポル・ポトの呪縛を脱して、国際社会から信用を得る国になる日はいつくるのでしょうか。

 

書評・感想

この本を読んだは僕自身がカンボジアを訪れることがあったのでその前に社会の背景知識をつけたいと思ったからです。

もちろんある程度世界史をさらってはいるのでカンボジアポル・ポトによる悲劇があったことは知っています。しかし、この本を読むまでそれが現代社会にどのように影響・残存しているのか全く知りませんでした。

加害者と被害者とが共存し、その社会が当たり前になっているというのが、カンボジアでは当たり前なのでしょうがとても異質な状態であるはずです。

 

自分の国のトップが突然が知識人などを虐殺し始めると思うと、とんでもなくぞっとするというか、本当にそんなことがあったのかと疑ってしまいますが、その事実は間違いなくそこにあって、その事実の上に今のカンボジアはあります。

きっとカンボジアの人たちは前を向いて生きているのでしょうが、その事実のために自分たちは援助を受けて当然たと思ってしまい自分たちで発展する道を閉ざしてしまっているのは大変悲しいことです。

実際カンボジアの収入源はほとんどが観光からくるものなので、自分たちで生産することがなかなかできていないのが現状と言えるでしょう。

 

僕はアンコールワットがある町シェムリアップを訪れましたが、観光客があまり行かなそうな市場などに行ってみると、わいわい賑わって食べ物を売っている屋台のすぐそばに地雷で足を失った人が物乞いをしていました。しかしその様子を他の人たちは何も気にかけず買い物を楽しんでいます。

その空間の異様さにぼくは言葉を失いました。

 

被害者と加害者が併存する社会、それは僕たちに何を伝えているのか。

この本では和解を国民は切望している、と書かれていました。きっと本心ではそう思っていることはそうなのでしょう。

しかし、和解が実現されずにずっと続いてきた現状の社会では和解を妥協している、そして国が和解を見出せないなら国民たちは過去に対する苦痛は妥協して生きていくしかないのかもしれないとこの本と現地で感じました。

そういったものを抱えたうえで、カンボジアの人々にはある種の穏やかさがある。

そんな国がカンボジアなのではないでしょうか。