本から明日をつくる

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歴史とは何か、考える

こんにちは。

ここ最近修士論文の構想を練っていたりでなかなかブログの更新ができていませんでした。

これから随時更新していきます。

ところで、今日は書評ではありません。

 

ここ最近、大塚久雄に関連する本や論文を目にする機会があって、歴史というものについて深く考えさせられることがありました(深くといってもたかが知れているのですが)。

ちなみに大塚久雄って誰?という方のために少しだけ説明すると、大塚久雄は第二次世界対戦前から戦後にかけて活躍した経済史・社会学者で、大塚史学と呼ばれた彼の経済史に対する考え方は世界的な評価を受けました。

マルクスマックス・ウェーバーの論理を取り入れて、人間が目指すべき「近代人」のあり方を模索したことでも有名です。

 

さて、大塚久雄の紹介はこの辺りでとどめて(大塚史学についていつかちゃんとした記事を書きたいと思います)、本題の歴史とは何かについて考えたいと思います。

 

歴史とはなんでしょう?

 

過去にあったこと、昔の事実、色んな言い方があるでしょう。

ちなみにwikipedia では「何かしらの時物が時間的に変遷されたありさま、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。主に国家や文明など人間の社会を対象とする。記述されたことを念頭に置いている。」と供述されています。

僕としてはその説明では釈然としない、というより歴史は階層的な構造であると思います。

どういうことかというと、歴史というのは

①出来事が記録として残される

②その記録を歴史家が書き起こす

③その書き起こしを読者が読む

このプロセスを通じて初めて我々一般読者に過去の出来事が歴史として認識されるのだと思います。

 

つまり、例え実際にあったことでも記録に残されていなければ現在そのことは歴史として認識されない、また、たとえ記録に残っていて歴史家がそれを書き起こしたとしてもそれが読者に届かなければ歴史にならない、ということです。

当たり前と言えば当たり前かもしれません。

 

しかし、今の日本ではこうした歴史が失われつつあるのではないか、と思っています。

本屋にいってみれば、実際の記録を書き起こすことに専念した本は専門書として本棚の隅に追いやられ、店頭に並ぶのはどこまで記録に基づいたかも定かでないことを「歴史」として書いている本がほとんどです。

もちろんそういった本にもそれ特有の面白さがあるものもありますから完全に存在を否定するつもりなど全くありませんが、本当の歴史が理解されずに読者の関心から消えていくのは由々しき事態だと思います。

 

だから、どうこうしろ、という考えが今あるわけではないのですが、少なくとも読者はしっかりとした歴史にも目を向ける努力をすることを忘れてはならないのではないでしょうか。

 

E・H・カー『歴史とは何か』という本において、「歴史とは、現在と過去との対話である」と述べられています。

このような時勢だからこそ歴史に向き合う態度というものを今一度考える必要があるのかもしれません。