❮旅❯断食明けの朝、東南アジア最大のモスク、イスティクラル・モスクがすごいことに~ジャカルタinインドネシア旅行記③
selamat sore!(インドネシア語でこんにちは)
ジャカルタに到着した日はラマダン最終日ということで、夜はバイクでお祭り騒ぎをしている人たちもいましたが、なんとか眠ることができました!
↓前回の記事 ジャカルタ旅行記②↓
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今日はインドネシアにて、日本では決して見ることができないような宗教的な光景を目にすることができたのでその話を書こうと思います。
断食があけた朝はイスラム教徒たちが祈りを捧げる朝
朝7時にホテルのロビーにいくと、テレビのニュースで驚くべき光景を目にしました。
ジャカルタのイスラム教徒の人々(インドネシアは9割がイスラム教徒)が、東南アジア最大のモスクと言われるイスティクラル・モスクに集まり祈りを捧げていたのです。
モスクとはイスラム教徒が唯一神アッラーに祈りを捧げる場所のことで、そこでアラビア半島のメッカのカーバ神殿に向かって祈りを捧げるのです。
それにしてもこれだけの人数が一度に集まってお祈りをしているというのは、イスラム教にあまり馴染みがない日本人からするとびっくりです。
そして、このイスティクラル・モスク、なんとホテルから徒歩10分ほどの距離にあるということなので、実際に見に行ってみました!!
モスクに行く途中、皆モスクに集まっているせいか人や車があまりいません。
しかし、モスクに近づいていくと、
お祈りが終わったのか、帰るイスラム教徒の人たちとすれ違うように。
そして、イスティクラル・モスクにたどり着くと、
人多すぎ。
さすがにびっくりしました。
なんとか敷地のなかにいってみるものの、
人が多すぎて、モスクの中に入るのはさすがに断念しました。
こうして宗教上の行事に少しでも立ち会えただけよかったということにしましょう。
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この記事の答えの一つはこういうことだったのですね。
後日、イスティクラル・モスクの中へ
後日、朝早く起きて時間があったので再びイスティクラル・モスクに行ってみることにしました。
ちなみに、このモスクの前の道路は交通量が多いので渡るときは注意してください。
ジャカルタは日本と違って、車も人もルールを守りません。
たとえ赤信号だろうがクルマやバイクが行けると思ったら横断歩道だろうが無視してつっきってきます。
さて、今度はさすがにあまり人はいませんでした。
イスラム教徒でなくても、二階にあがったところまでは自由に見学できるので実際に中に入ってみました。
大理石の階段をのぼって二階に行き、右の方に行くと礼拝堂にたどり着きます。
そこに着いてぼくは息をのみました。
写真でうまく伝わるかわかりませんが、そこの空間は他とは異なる神聖で厳かなものだったのです。
寝てる人もいれば、頭を地につけ祈りを捧げている人もいる。
ただ、そこは僕がこれまで体験したことのない、どこか重く、だけどどこか穏やかな、不思議な場所でした。
この写真の正面の方に向かってイスラム教徒の人たちはお祈りしていたので、おそらくその方向がメッカ、カーバ神殿なのでしょう。
天井は黄金に輝いていました。
中にはたくさんのコーランがおいてありました。
外をみると(モスクは窓などはなく、中庭のようなところとつながっていました)ミナレットと呼ばれるイスラム教の塔が建っていました。
イスラム教にふれて感じたこと
イスラム教という宗教はこれまで僕にとって世界史の教科書の中のものでしかありませんでした。
それがこの断食明けという宗教上大事な時期に、肌でイスラム教を感じるという貴重な経験ができたのです。
あのモスクの中で、床に座り、ゆっくりと流れる時に身を委ねていると、とても穏やかな気持ちとなると同時に信仰というものは何なのだろうとふと思いました。
ぼくはイスラム教徒じゃないからイスラム教上の唯一神の存在を信仰しているわけではありません。
しかし目の前で頭を床につけ祈りを捧げるイスラム教徒の女性にとって、唯一神はこの彼女が見ている世界に確かに存在するものなのです。
自然科学の観点から言えば、神というものは人間の主観のなかに作られたものであり、この自然世界において存在が証明されるものではありません。
しかし、別にぼくがイスラム教に入信したとか言うわけではなく、あの空間においてたしかに神は存在していました。
人によってうみだされた宗教が何百年という時を越えて、今においてたくさんの人に信じられる。
その凄さを、まじまじと感じることができました。
世界とは何なのか。
人の精神とは無関係に客観的に存在するものなのか、それとも人の主観を通して一人の人間の内側に形成されるものなのか。
そんな哲学的なことをモスクの中でぼんやりと考えていました。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました!
❮旅❯ラマダンが終わった夜、若者たちはバイクで街中を走り回る!?~インドネシアの首都ジャカルタ旅行記②
selamat malam!(インドネシア語でこんばんは)
さて、今日は空港からホテルに着いたあとの話をしていきましょう。
前回の記事を読んでいない方はこちらから読んだ方がわかりやすくなるかと思います!
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タクシーでショッピングモールへ
まだ夜ご飯を食べていなかったのでホテルの人にご飯を食べるならどこがいいかと聞いたところ、
“Atrium mall”
と言われ、丁寧にもタクシーを読んでくれました。
あまりインドネシア語を話せないのを分かってくれたのか、旅行者にも安心なブルーバードタクシーです。
そうしてタクシーで5分もかからないうちに、そのアトリウムモールというところに着きました。
アトリウムモールというのは地球の歩き方にも紹介されておらず(地図には載ってます)大丈夫かなと少し心配しでしたが、、
めちゃくちゃ綺麗でお店たくさんある。
そしてめっちゃくちゃ賑わってる。
日本のイオンとかとなんら変わりはありません。
インドネシアって発展していないところは発展していないところでたくさんあるけれど、こういうショッピングモールのようなところはたくさんあって、内装もとても綺麗なようです。
そして断食明けということもあってか、インドネシア人の皆さん、とにかく爆買いしています(笑)
お正月の日本人とまったく同じ感じです。
モールの上の方にご飯を食べるところがいくつかありそうなので上にエスカレーターでのぼってみると、
日本でもお馴染みカーネルおじさん。
イスラム教徒は豚肉を食べることができないので鶏肉にしぼっているケンタッキーは相性がいいのかもしれません。
街中歩いていて一番目にするファーストフードはケンタッキーのような気がします。
そしてケンタッキーの右を見てみると今度はすき家。
日本のチェーン店めちゃくちゃ進出してるなぁ。
また、面白かった光景がこちら。
イスラム教の女性たちがゲームセンターでダンスダンスレボリューションみたいなゲームを楽しんでいました。
宗教が違えど、楽しいことは誰でも楽しい、皆同じなんだなぁと感じました。
さて、そんなこと言って目的の夜ご飯を忘れてはいけません。
せっかくだからインドネシア料理を食べたいと思い、それっぽいお店に行ってみました。
ご飯があって、そのまわりに10種類をこえるおかずをいくつかえらんでのせてくスタイルのところでした。
おかずは何がなんだかよくわからないので、見た目で判断して選んだのがこちら。
いや、とても美味しい。
しかもこれで300円とかでした。
恐るべしインドネシア。
そんなかんじで食べていると向かいの席に女の子が突然座ってきました。
どうやらお店の人の子供のようです。
手を降ってみると、
恥ずかしがって後ろを向いてしまいました。
そんなかんやで初のジャカルタご飯を終え、タクシーで再びホテルに帰りましたとさ。
夜遅くに騒がしくなりだす道路
そんなかんじで到着した日は翌日に備え寝ようとベッドに入ったとき、
数多くのバイクの音と人々の叫び声と歌のようなものがホテルの向かいの道路から聞こえてきました。
なんだなんだと思って窓から下を覗いてみたところ、
えええ、なにこれ!?
ありえない数のバイクと、バスみたいな大型車の上にそんな乗って大丈夫かと思うほどの人たちが乗って、爆音で音楽を流しています。。
そしていなくなったかと思うと、またすこしたったあと再びやってきます。
よく見てみると若者たちばかりでした。
ジャカルタの街中こんなかんじなのでしょうか?
後日は何もなかったので、断食が終わりテンションがあがった若者たちが街中を騒ぎ倒しているというかんじなのでしょうか?
日本でいうところの成人式に暴れる若者と少しかぶったのですが、実態はどうなのでしょう…。
早速面白いもの見れたけど、
これ、眠るの大変でした。
❮旅❯インドネシアの首都ジャカルタ旅行記①~飛行機情報からタクシーでホテルにむかうまで
selamat malam!(インドネシア語でこんばんは)
というわけで、これから何回かはインドネシアのジャカルタで経験したことを、色々と紹介していきたいと思います!
アホなくらいジャカルタを歩き倒したのでネットにのってないような詳しいところまで何回かで書いていきたいと思います。
更新お楽しみに!!
成田空港から約8時間
当たり前ですが飛行機に乗ってインドネシアにはいきます。
ぼくは安さ重視なので格安航空のAir Asiaを利用しました。
ネットで調べると寒すぎるとかマイナスイメージの情報があったのですが全然そんなことはありませんでした!
これで往復4万円いくかいかないかくらいなので、めちゃくちゃ満足です!
ただ、Air Asiaは機内食がオプションのようで(搭乗するまでてっきり勝手に出てくるもんだと思っていました)、お昼を食べてなかった僕は約600円で機内食を購入しました。
味はふつうにいいかんじでした!
東南アジアだなってかんじのスパイスがきいています。
成田空港からジャカルタまでは約8時間です。
ところであとあと詳しく書きますが、イスラム教国のインドネシアでは2018年の場合6月15日からレバラン休暇というものになるためか、飛行機のなかはほとんどインドネシア人で日本人はほぼいませんでした。
アナウンスまで英語とインドネシア語しか流れない始末。
一応これ日本発の飛行機なんだけどな…(笑)
そんなかんじで本を読んだりうとうとしたりすること8時間、ついにジャカルタの空港、スカルノ・ハッタ空港に到着です!
インドネシアは赤道直下の熱帯性気候で5月から10月が乾季、残りの時期が雨季といわれ、年中を通して平均気温が30度をこえる国です。
到着して飛行機から降りるとむわっとした暑さが体中を包み込みます。
時差は日本とは2時間で、到着した現地時間は5時過ぎ、太陽はすでに西日となっていました。
それから空港で入国手続きをしたわけですが、スカルノ・ハッタ空港、めちゃめちゃきれいです。
インドネシアっぽい雰囲気の内装でお出迎え。
羽田や成田となんらかわらないくらいきれいですね。
さて、そして預けた荷物がなかなかでてこないのでしばらく待っていたところ、何やら放送が聞こえてきました。
到着した日はラマダン(断食月)最終日
&%◆〆¥#☆~♪
中東を連想させるような異国情緒漂う歌のようなものが空港の中に聞こえてきました。
最初はおもしろい音楽だなとか思っていたのですが、気づきました。
これ、コーランだ。
そう、インドネシアはイスラム教徒が90%をしめるイスラム教国。
街中でもお祈りの時間になるとコーランが流れるのです。
それは空港も同じ。
さらに、空港についた日は約1か月間続く断食月(ラマダン)の最終日でした。
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詳しくはこちらの記事にも書きましたが、イスラム教徒は断食月というのを迎えると日が出ている間は食べ物はもちろんのこと、水をもとることを禁じます。
それが約1か月続くわけです、終わったあかつきにはお祭りのようになり、日本でいうところのお正月のように自分の故郷に帰るそうです。
インドネシアではそのいわゆるお正月期間のことをレバラン、あるいはイドゥル・フィトリと呼びます。
そんなかなり特殊な時にやってきてしまったジャカルタ。
どんなかんじかわくわくしますね!
空港からの移動手段はタクシーで
さて、バスもありますが、空港からはタクシーを使いした。
タクシーを探していると早速タクシーと呼んでいいのか怪しいようなドライバーたちがめちゃくちゃよってきます(笑)
インドネシアではメーター制がしっかりしてないタクシーもあるので、ちゃんと最初に値段は確認するようにとネットで書いてあったのでその怪しいドライバーたちに値段聞くと、ネットで調べた約2倍の値段をふっかけられました。
無理無理と断って、安心できるタクシーのもとに向かいます。
ジャカルタの安心できるタクシーはブルーバードタクシーという水色のタクシーです。
これはメール制で最初も6500ルピア(日本円になおすときはざっくりでいいなら0を2つとりましょう。この場合は65円です)なのでとてもお手頃でもあり安心できるタクシーグループのよう。
実際ホテルまでも日本円にして2000円ちょいしかかからなかったので相場通りといったところでしょうか。
それではタクシーにのってホテルまでつれいってもらいましょう!
(暗くて画質悪いですがお許しあれ、、)
ホテルに向かう途中はジャカルタの夜景を楽しみます(6時には日が沈んでしまうのであたりはもう真っ暗です)。
ジャカルタは世界で東京につぐ大規模な都市圏(ニューヨークとかよりも広いんです)なのでとても広いうえに、発展しているところはめちゃくちゃ高層ビルや高層ホテルが並んでいます。
正直、めちゃくちゃびっくりしました。
途中でいくつかナイトマーケットのようなものも発見。
断食が終わったからか賑わっていそう。
ジャカルタの中心地に向かっていくにつれだんだん交通量も増えていきます。
というかバイクがめちゃくちゃ多くてみんなクラクション鳴らしています。
さて、そんなかんじで約30分かからないくらいで(レバランで帰省している人が多いから道が空いていたわけですが、普段はあり得ない交通渋滞で2時間以上かかることもざらみたいです)ホテルに到着!
まだ夜ご飯を食べていないのでどこかに食べに行かねばなりません。
いったい断食が終わったジャカルタの夜はどんなかんじなのか!
それは次回の記事で書きたいと思います!
↓次回、ジャカルタ旅行記②↓
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最後までお読みいただきありがとうございました!
日本の衛生って
明日から海外に行ってきます。
インドネシアに断食が終わる日に着くぞ~ってやつですね。
で、毎回海外、とくに東南アジアとかちょっと汚いようなところとかに行ってから日本に帰ってくるたびに思うことがあります。
「日本ってなんて綺麗で過ごしやすいんだ」
って。
きっと海外に行った経験がある人なら誰もが思うことではないでしょうか。
とくにトイレだとか水関係の快適さといったら日本は世界トップでしょうね。
そうなんですけど、時々日本って綺麗すぎやしないかって思う時があります。
例えばとりあえず除菌。
なんにでもアルコール消毒しますよね。
日本はあらゆるものから菌とかを消しすぎなのではいでしょうか。
本来人間はもっと菌に囲まれている環境で生きてきたわけです。
そんなの海外に行ってみればわかりますが、海外の人は日本からしたらびっくりすくらい汚いところで生きています。
それで普通に暮らしているんですね。
人間は完全な無菌状態の空間で生きることに慣れてしまうと、本来の人間の免疫であればなんともないようなちょっとした菌に対して全く対抗できなくなってしまうという話を聞いたことがあります。
人間だって生き物です。
菌や他の生物と共生してきた生き物です。
そういったものを完全に排除してしまったら生き物としてもっている生命力みたいなものまで失ってしまうんじゃないかと時々こわくなります。
何事もやりすぎはよくないということでしょう。
というわけでインドネシアでしっかり生命力つけにいってまいります(でもアジアとかで水道水とかを飲むのはやめましょうね笑)
史上初の米朝首脳会談実現へ アメリカと北朝鮮の真の狙いは?
6月12日、シンガポールにて歴史的な出来事がおこりました。
アメリカ合衆国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長とによる史上初の米朝首脳会談がついに実現されたのです。
この握手の瞬間はアメリカ国務省のツイッターでもツイートされました。
.@POTUS Donald J. Trump meets North Korean leader Kim Jong Un in Singapore. #SingaporeSummit pic.twitter.com/CWhiLO4dAa
— Department of State (@StateDept) 2018年6月12日
お互いが歩みより、長い間固く握手をする始まりはとても象徴的です。
なぜ史上初で意義があるのか
そもそもなぜこの会談が大きな歴史的意味をもつのか説明しましょう。
遡ること第二次世界大戦直後、戦前まで日本の植民地であった朝鮮半島は、当時の冷戦構造に組み込まれて1950年に朝鮮戦争が勃発してしまいます。
資本主義陣営を代表するアメリカ率いる国連軍は朝鮮半島の南側を、社会主義陣営側のソ連・中国は北側を支援した朝鮮戦争は、北緯38度線を境に同じ民族が2つの国家に分断されることで一時休戦というかたちの結末を迎えました。
あくまで一時休戦なので、韓国と北朝鮮の人たちはまだ戦争は続いていていつどんぱちしてもおかしくないという認識です。
3月に韓国にいって軍事境界線の方に向かったとき、実際に韓国の方がそう言っていました。
(4月の板門店宣言で事態は大きく変わっていくかもしれませんが)
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そして北朝鮮の人からするとアメリカという国は戦争でたたかった憎き相手で、南北の分断をまねいやつ、というかんじの認識なわけです。
だからもちろんこれまでアメリカと北朝鮮は友好関係などなく、現代に至るまでアメリカは経済制裁や、韓国における合同軍事演習などをおこなって北朝鮮に対してプレッシャーをかけてきました。
ただプレッシャーをかけるのは戦争が続いているからという以上に、北朝鮮が核開発を進めていったことに由来すると思います。
数ヵ月前までも北朝鮮は核爆弾を搭載した大陸ミサイルの打ち上げ実験を繰り返し、アメリカに対して挑発行為を行っていたのは記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。
そんな二つの国がついに首脳会談をするに至ったー
この言葉をそのままとらえれば歴史的な意味がとても大きなものであることは、以上のような歴史的経緯から考えればよく分かると思います。
この会談が意味するものとは
この会談によって国際情勢がより良い方向へと向かってくれればそんなに素晴らしいことはありません。
実際、トランプ大統領はこの会談の大成功に期待していると語り、金正恩氏も、これまでいくつかの障害があったなかで、我々は全て乗り越え今日ここにいると語りました。
しかし、国際関係というものには本音と建前はつきものです。
本音は何なのか、お互いにとって何らかの利益があるからこそ、この会談は成立したわけです。
北朝鮮の狙いはおそらくアメリカ軍の朝鮮半島撤退ではないかと思われます。
北朝鮮としてはやはりアメリカ軍が近くにいるのは脅威なわけで、半島からの米軍撤退は昔からの狙いでありそれは変わっていないはずです。
これまでの流れを考えると、今回の論点ともなる北朝鮮の非核化は、口では進めるといっても実際は取りかからないのが北朝鮮ではないかと思います。
一方、アメリカの思惑としてはトランプ大統領の世論からの評価をあげることではないかなという気がします。
トランプ大統領は世論からの評価を得るために、時には迎合的な、時には挑発的な言動をおこなってきた人物です。
核ミサイルをもってアメリカ国民に脅威となっている北朝鮮と対談をおこない平和へのきっかけをつくった史上初の大統領として、注目を集めることが狙いではないでしょうか。
これによって国際世論の評価もあがる可能性はあるし、東アジアからの脅威を減らせれば中東に資金をついやすことだってだきます。
他にも様々な狙いはありそうです。
とはいえ、この米朝首脳会談が形式的なものでなく、本当に国際平和へとつながってくれたらいいですね。
150年前のインドの死亡者記録を見ていて思ったこと
最近150年前のインドの死亡者データとにらめっこすることがありました。
こんなことができてしまうのは大学院生のいいところの一つですね(いいのかどうかはわかりませんが笑)。
ただ普段の生活しているとこういったもを目にする機会もなかなかないと思うので、今日は大学院生の特権をいかして少しこういった”歴史的史料”というものについて紹介してみようかなと思います!
まずは写真で見てもらった方が早いと思うので写真をのせましょう。
こんなかんじです。
写真からでもこの史料の古さがよく伝わるのではないでしょうか。
約150年前というとインドはイギリスの植民地支配下におかれている状況でした。
イギリスはインドの植民地統治を円滑に行う上でインドの現地の詳しい情報を把握する必要がありました。
そこでイギリスは植民地現地の様々なデータを集めるということもおこなっていたわけです。
何も圧政をひいて民を働かせる、というだけが植民地支配というわけではないのです。
今回紹介した死亡者記録というのもその一部ということです。
かつては植民地統治のために記録していた様々な史料・データを、現代の歴史家たちは読み取って現代に歴史としてよみがえらせているわけです。
そういう意味ではこういった史料というものがない限り、当時はどういう要因で多くのことが死んだのかということは現代でからすると把握の仕様がないので、現代で歴史を書き上げる上でこういった歴史的史料というものは不可欠なんですよね。
じゃあこのデータからは何が分かるのか、というと、例えばこのデータの左の方は各地域における月ごとの死亡者数が書かれています。
よく読み込んでみると4月・5月になるとどの地域でも死亡者数が増加しているので、この時期になにか病気か何かが流行したのかな、ということが推測できます。
また、右側には死亡者の年齢ごとの分布や、志望要因も書かれています。
死亡者の年齢の分布から言えば幼児と子どもが圧倒的に多く、死亡者数の半分を占めています。
また、志望要因としてはコレラといった病気もたしかにあるのですが、一番多いのはfever、つまり熱のようです。
こういった情報を考慮していくと、150年前はたいした衛生設備・医療設備も整っていないわけで、簡単に熱がでてしまう子どもたちが、そのまま熱に苦しみ死んでしまうケースが多かったのではないか、ということが推測できるわけですね。
今紹介したのはこのデータから読み取ることができるほんの一例です。
史料から何を読み取ることができるかはその歴史家の腕次第ということにはなってきてまう、ということがなんとなく伝わったでしょうか?
ということで今日はそんな歴史家が向き合う史料ってどんなもの?という紹介でした。
旅好き必見!Googleアースで世界のどこかあてるゲームにはまりそう
今日紹介するのはGEOGUESSRというゲームです。
このゲーム、Googleアースと連携していて、世界のどこかをランダムで表示して、そこがどこかあてる、というゲーム。
ネット上で無料だし、旅が好きで色んな風景を見てみたいという人にはもってこいです。
これは説明するよりもやっているとこを見た方が分かりやすいと思うので、実際の一例をスクリーンショットでとって見ていってみましょう!
早速GEOGUESSRを起動して(ググればすぐでてきます)、ゲームスタート!!
はい、早速こんなかんじででてきます。
うーん、どこだろ、そこそこ悪くはない街の道ってかんじだな、、
でもこれだけではわからないので矢印の方に進んでもう少し情報を集めてみましょう。
進んでいくと住民を発見!
このかんじは白人でしょうか。
自動車も家の感じもそこそこいいかんじですね。
もう少し進んでみましょう。
ゴミ箱らしきものを発見!
そして赤で囲んだ丸の中をよく見てみるとどうやら文字らしきものが!
このゲームではその土地で使われている言葉を発見することは、正解への大きなヒントとなります。
よーくみてみるとわかりづらいのですが、“de”と書いてあります。
これはスペイン語の前置詞なので、ここはスペインか南米ということがわかりました!
さて、ではここはどこか。
ここまできたらあとは勘です(笑)
なんか道の感じとかスペインというよりは南米では??
てわけで、Googleアースのペルーを選んで(完全に勘です)答え合わせ!
さて答えは…!!!
はい、スペインでした。
というかんじで楽しめゲームです。
ランダムで色んなところが表示されるのでおもしろいですよ!
ちなみに、
こんなかんじで永遠と続く道がでることもよくあるのでそういうときは辛抱強く粘りましょう(耐えられずすぐ答え合わせに走ってしまうこともしょっちゅう)。