発展途上国の人々の生活がなかなか豊かにならない理由
「世界の貧しい子どもたちにどうか寄付を。」
よく町中でみかける光景です。
多少は改善されているにせよ、ずっと昔からこういう活動っておこなわれているのに、どうして貧しい現状はもっとよくならないのか。
本を読んだり、いろんな人の話を聞いたり、自分の目で見たり、そうする中で見えてきたものが少しだけあるので、今日はその話をしようかと思います。
搾取される者が必要な産業資本主義
少しだけ歴史の話を。
18世紀にイギリスで産業革命がおきて以来、産業資本主義は発展をしてきました。
しかしその裏には搾取する側の資本家と搾取される労働者という二項対立がありました。
先日読んだ『共産党宣言』はそんな搾取される側の労働者の搾取からの解放をうたったものでした
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昔は一つの工場の中が経済の単位でもあったので、搾取する人が資本家、搾取される人が労働者でした。もちろん今もそれは根強く残っていますが。
さて、現代に視点を戻してみると、昔と比べて経済のグローバル化がとてつもなく進んでいます。
ここで地球を一つの経済の単位として見てみたとき、今の現状に気づくと思います。
先進国が搾取する者、発展途上国が搾取される者という構図です。
一つ例をだしてみましょう。
今大手アパレルショップで売られている服の中には、バングラディッシュ産と表記されているものが多くあります。
これらの服がどう作れているかと言うと、バングラデシュの人たちに1日30円とかそういうレベルで働かせて洋服を作り、その作られた服を先進国の大手アパレルショップがやっすい値段で買い取り、先進国の人たちにたっかい値段で売りつけるわけです。
そりゃ利益がでるわけです。
そして搾取される側の人たちはご飯を食べるのがやっとの生活しかできないわけです。
そんな状態で生活が豊かになるわけがないのです。
足りないのは教育と自国の仕事の豊富さ
じゃあそういう先進国の企業じゃないところで働けばいいじゃないか、と発展途上国の人たちに感じる人もいるのではないでしょうか。
しかし、他にちゃんと雇用を生み出せるだけの自国の企業が、仕事がないのです。
むしろないからこそ先進国の企業が簡単に進出してきたと言ってもいいかもしれません。
僕はそういう企業がないことが悪いことだとは思っていません。
だけど、一度資本主義という歯車に組み込まれてしまったら、そこから抜け出すのは本当に困難です。
だからこそ、搾取され続けないように、発展途上国の人自らが知識をつけ、自分たちの力で稼ぐ力を身に着けることが何よりも大切な事なんじゃないかと今は思います。
貧しい地域の人たちの力のために何かしたいと思って、寄付をするときは(寄付が悪いとは言っていません!)、いったんたちどまってそのお金がどういうふうに使われるのかをよく納得してからにしたほうがいいかもしれません。
本当にその寄付は現地の人たちが生きるための力につながりますか?
これから求められるものはそういう力をつけさせるための手助けであってほしいと思います。
最後に少しだけ
今ブロックチェーンの本を友人から借りて読んでいます。
このテクノロジーによって世界がまわるようになったら、仲介業者が必要なくなるそうです。
つまり、発展途上国の人たちが生み出すものに、本当の価値にふさわしいだけのお金が、発展途上国の人たちの手にしっかりと行き届くシステムがつくれるようになるのだと思います。
このブロックチェーンというテクノロジーによって、世界の貧しさが大きく変えられる、搾取と搾取される二項対立の資本主義に終わりが訪れるかもしれない。
そんなことを思う今日この頃でした。
これからの仕事は「遊び」から生まれる??
ネットで色んなニュースを見ていたところ、面白い記事を発見しました。
Forbes Japanのこんな記事です。
ーこれからの仕事は「遊び」から生まれるー
なかなか興味をそそられるようなタイトルですね。
いったいこれはどういうことなんでしょうか。
前提としてのAIとBI
掲載した記事の最初にあるタイトル、AIとBIってなんじゃ?ってなるかもしれません。
この二つがよくわからないとこの記事の内容もよくわからないと思うのでまずはここから軽く説明します。
AI
まずAIについて。
こちらは最近耳にすることも多くなってきたのではないでしょうか。
artificial intelligence、すなわち人工知能ですね。
AIを搭載したソフトに人間のプロ棋士が将棋で負けた、なんてことを耳にしたことがあるかもしれません。
AIというのは学習機能がプログラミングされているので、人間が手を施さなくても勝手に最善に近い結果を導けるようになっていきます。
そのため、今人間が行っている職業の多くが取って代わられてしまうのではないか、とも物議をかわしています。
銀行の融資担当者からカジノのディーラーまで、多くの職業がコンピューターで補えてしまう、なんてことをいった論文も発表されたほどです。
↓詳しくはこちらのページにのっています↓
さて、では本当に職業がどんどんなくなって失業者が増えてしまったらどうすればよいのか。
そのために考えられている対策案の一つがBI、Basic Income(ベーシックインカム)です。
BI
ベーシックインカムとは、僕が理解している限りではざっくりいうと、
国民全員に一定額を定期的に給付して、最低限度の生活を保障しよう
というものです。
BIはお金そのものがなくなるわけではないので、もちろんBIをもらったうえでお金を稼ぐことは可能です。
ただたいていの仕事をAIがやるとなったら仕事につけずにくいっぱぐれたら大変だ、ということで国民全体にお金を配るわけです。
社会保障で生活保護を大量の人にかけるくらいなら平等にみんなにお金をくばってしまえ!ってことですね。
そんなことほんとにできるのか、という議論は今はいったんおいておきます。
ただ、なかには北欧では実験的に導入されている国もあるので不可能ではないかもしれません。
(日本の場合じゃあこれまで働いてきた人たちが払ってきた年金をどうするかという問題もあるのでなかなか困難だとは思いますが…)
ここでは、いったんBIが導入された、そうしたどうなるんだ?
という想定のもとでの話です。
最低限の生活が保障される
そう、AIがこれまでの人の仕事をおこなうようになり、BIによって健康で文化的な最低限度の生活を送るだけのお金がもらえるようになったら…。
仕事を探しますか?
ちょっとした贅沢はしたいだろうし、少しくらいは仕事を探して仕事をする人はたくさんいる気もします。
でも今みたいに週5で働きますか?
仕事をするモチベーションがお金を稼ぐため、生きていくため、というものでなくなるわけです。
そんな中でも仕事をやりたいとしたら、それはきっと楽しいから、といった自分の内側から湧き上がってくるものなのだろう、というのが今回紹介したForbes Japanの記事なわけでした。
社会にはこういう問題があるから解決しよう、としてビジネスをしているのが今の時代なら、これからは「遊び」がビジネスになっていく、という興味深いお話です。
「やりがい」を求めて
遊びから仕事が生まれる、というのはとても分かるし、きっとそういうのが増えていったらますます面白い時代が来ることになるのでしょう。
しかし、かといってきっと社会問題がなくなるわけではないはずです。
いじめだとか自殺だとか貧困だとか(BIをもらっても生活にではなくギャンブルに使ってしまい貧困に陥る人はきっとでるはず)、そういう問題はきっとあると思います。
なんなら今にはない新しい問題もでてくるかもしれません。
そういう問題をビジネスを通して解決していくことにやりがいを求めるのも一つの在り方だし、そういってこの社会がよくなってきた部分もたくさんあるはずです。
もちろん、「遊び」からうまれた仕事だってきっと多くの価値を世の中に提供していくことでしょう。
「遊び」を仕事にすることも「やりがい」、社会問題を解決することも「やりがい」。
何をやりがいに感じるかは人それぞれです。
ただ、言えることは、これからAIとBIの時代が来たならば、「やりがい」を見つけられるかどうかが自分の人生をエキサイティングにする秘訣なのかもしれません。
【書評】今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である~マルクス・エンゲルス『共産党宣言』
今回紹介するのは、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)です。
「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」
この句から始まるこの宣言は、1848年に発表されてあらゆるプロレタリア運動の指針となった意義深い文であります。
近代化の波が押し寄せ産業資本主義が本格化しだした西欧が直面した諸側面を捉え、労働者たちに働きかけようとしたこの本は、きっと今につながる何かが込められているはず。
そう思うと、別に社会主義者というわけではないけれど、この本は避けては通れません。
古典であり、理解も遠く及ばない本であり、書評などという言葉は大変立場不相応ではありますが、読んで感じ取れたほんの少しのことをここに記していこうと思います。
要約
- 資本主義が発達する中で、ブルジョワ(産業資本家)とプロレタリア(労働者)との対立・階級闘争がおこった
- 労働者は搾取を脱却するために団結し、革命を行う必要がある
- 私有財産の廃止等々を通じて最下層のヒエラルキーであるプロレタリア階級は支配階級となり、故に階級から人々は解放される
付け加え続けられる序文
岩波文庫の『共産党宣言』は本宣言文に入る前に、各国で翻訳・出版された際に付け加えられら序文が掲載されています。
1883年ドイツ語版への序文、1892年ポーランド語版序文、といったかんじです。
この序文は大変重要な役割を果たしていました。
なぜなら、著者のマルクスやエンゲルスが、最初に発表された1848年から数十年たっただけでも社会情勢があまりにも大きく変わりすぎていると考えていたからです。
1848年は二月革命や三月革命がおこり、国民国家の形成という潮流に一つの区切りがついた非常に意義深い年です。
この二月革命直前に発表された共産党宣言ですが、数十年たって新たに発行される間には、フランスにおけるパリ・コミューンの失敗(労働者階級が政権を握ったはいいものの労働者の目的のために政府を動かすことはできない、ということがわかったのです)などを経て、いささか時代遅れの面もあると、マルクス・エンゲルスは自覚していました。
それについて言及したのがこの序文であります。
そして、それでも歴史的にこの宣言は重要なものだから改変できるものではないと述べています。
今でも優れた実用書が10年たってしまったら、その書かれたことが現実にはそぐわなくなってしまった、なんてことはある話です。
しかしそれは今に限らず、100年以上も昔からあった話だったのでした。
この本の趣旨ではないけれど、つねに、それもおそろしい速さで、時代は変わり続けるものである、ということを教えてくれます。
そして、それと同時に、時代を越えても正しさを失わない原理・原則がある、ということも教えてくれているのです。
搾取する人と搾取される人
共産党宣言を読むと人類の歴史は常に支配・搾取をする人と、される側の人が存在してきていることを思い知らされます。
かつては諸侯と農奴という封建的支配関係が、そして共産党宣言がだされたときは資本家(ブルジョワ)と労働者(プロレタリア)という産業資本主義における搾取関係です。
こういった歴史的な理論は第1章のブルジョワとプロレタリアから読み取ることができるのですが、こういった搾取を受ける大多数の労働者を開放するのが共産主義であるとマルクス・エンゲルスは考えたわけです。
今の時代では、共産主義とか耳にするとあんまりいいイメージを持たない人も多いと思います。
しかし、共産党宣言を読む限りにおいては、共産主義は搾取に苦しむ人々を階級的な支配関係から解放させるための実践手段であって、そうした弱者を救うための理念であったと解釈できる気がします。
実際に第2章を読み進めてみると、共産主義に基づいて、労働者が支配階級に到達するには私有財産の廃止が必要である、といったような具体的政策にも言及しています。
あくまで共産党宣言は実践をうながすための実用的な指針であったことが分かります。
また、共産党宣言の中で、共産主義について以下のように述べています。
共産主義はだれからも、社会的生産物を取得する権力を奪わない。ただ、この取得によって他人の労働を自分に隷属させる権力を奪うだけである。(p.67)
今でこそ共産主義と言うと自由がない代わりに得られる平等、みたいなイメージがありますが、この文が表している通り、マルクス・エンゲルスの狙いは、何者かに支配されることなく自由を手にするにはどうすればいいか、ということを第一に考えていたのかもしれませんね。
まとめにかえて
じゃあ、共産党宣言がだされてから150年以上たった現代において、支配・搾取関係はなくなったのでしょうか。
今は民主主義、自由経済で好きなことができる、個人の自由は憲法によって保障されている。
そう考えれば、昔よりはだいぶよくなったのかもしれません。
しかし、いまだに人は生きていく上で資本主義に縛られ、お金のことに頭を悩ませ続けている人が数えきれないほどいることもまた事実です。
更に経済構造は複雑化し、昔のような搾取する側の人々の実態は見えづらくなっています。
結局のところ、ぼくたちは資本主義社会の中で生きていく上では、価値軸が資本である限り、一定のお金がないと、かつてのプロレタリアのようにお金というものに縛られ、搾取されてしまう存在であることにかわりはないのかもしれませんね。
これからの時代は、むしろ価値軸をお金から別のものに変えた方が生きやすい時代がくるかもしれないな、と思うのでした。
ネットで物を買う時はちゃんと中身を確認しよう
こんにちは。
本から明日をつくりたい大学院生です。
最近研究のためにインドネシア語を使う必要があるので辞書が欲しいなぁと思って、Amazonで検索してポチっと買っちゃいました。
最近は本当に一日で届くのでとても便利です。
さて、こういったAmazonのようなネットでものを買う時は何を判断しますか?
おそらく、レビューを参考にする方多いのではないのでしょうか。
僕もそんな一人です。
「使いやすい!」「面白い!」「★4以上の評価!」
こんな言葉があれば安心しますよね。
ぼくも今回のインドネシア語辞典を買う際に、評価が高く使いやすいものを基準に購入しました。多くの人がいいと言っているなら間違いないはずですから。
これで、やっとインドネシア語の文章のわざわざネットで調べながら読む必要もなくなるぞ、っとわくわくしていたところにすぐ届いたので早速開けて使ってみました。
おお、たくさんのってる!さすが高評価なだけある!!
・・・ん?
そう、ここで気づいたんですね。
これは日本語⇒インドネシア語の辞書だったわけです。
これではpengantaranという意味が分からない…。
せっかく5000円以上出して買ったのに…。
とまあこんなことがおこるわけですね。
いや、お前の確認不足だろ、おっちょこちょいすぎるだろ、と思ったそこの方。
本当にその通りです。
ぐうの音もでないというやつです。
中身をちゃんと確認する
ということなんですが、案外これに近いことやってしまったことないですか?
ネットで頼んでみたはいいもののサイズがあわなかった、微妙に思ってるものと違った、そんなに必要なモノじゃなかった、読んだことある本だった、、、
などなど。
これって全部中身をちゃんと確認していないところからきてます。当たり前ですが。
ですが、普段ネットでたくさん注文するとだんだん確認することをおろそかにしてしまいがちです。
そのうえレビューを気にすると、レビューが高くていい商品だからと大丈夫だと錯覚してしまいやすくなります。
他の人の評価の基準は必ずしも自分の求める基準と同じとは限らない、ということをもう一度認識しないといけないんだろうなと思います。
おいしい豚骨ラーメンのお店を探していたら近くの評価が高いお店がヒットしたから実際行ってみると、そこの豚骨ラーメンの評判はそこまでいいわけじゃなく、塩ラーメンがめちゃくちゃ人気だった、っておちと同じです。
まあそこで新たな塩ラーメンと出会えるので一概によくなかったということはできませんが(笑)
そいうわけで今回は自分への戒めがてらに書きました。
速く今読んでる本を読み終えて書評したいですね~。
東京のドヤ街山谷にあった居酒屋”世界”はどんなとこ?まさかの父親が語ってくれた
こんにちは!
GWはいかにお過ごしでしょうか。
僕は久しぶりに家族で焼き肉に行ったりしてきました!
今日はそこで飲みながら父親と話したときに聞いたことのお話です。
労働者の街として賑わっていた昔の山谷は、人に大切なもは何なのか教えてくれた、というそんなお話です。
学生時代の父親がバイトしてたらしい
この間東京のドヤ街、山谷に行ってみたという話を父親にしました。
ドヤ街というのは、安い簡易宿泊施設が集まっている地域のことで、その安い宿を求めて日雇い労働者の人たちが集まります。
かつての高度経済成長期の建設業を支えた日雇い労働者たちで、今は高齢者となって多くの人が生活保護を受けながら山谷では生活しているのでした。
この間行ったときは、昼間から道端でお酒を飲んでいる人たちがいる、そんなところでした。
詳しくはこちらの記事に書いたのでよかったら
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さて、この記事で紹介している世界本店という店名のセブンイレブンがあります。
なぜ世界本店という店名なのか。
そのわけはセブンイレブンになる前にその場所にあった居酒屋の名前が”世界”という名前だったからそう。
ネットで調べてもその世界についての情報はあんまりないかなっと思っていたところ、なんと僕の父が学生時代そこで働いていたと昨日知りました!!
さすがにタイミングといい、場所といいびっくりすぎ!!
父が大学に通っていた約40年頃前、交通の便の関係もあり、たまたま新聞の募集蘭かなんかに掲載されていた居酒屋世界でバイトをすることを決めたそうです。
居酒屋”世界”は労働者たちの集まる場所
このセブンイレブンが世界本店です。
父曰く、セブンイレブンがある大きな黒い建物全体がかつては居酒屋”世界”だったらしく入り口も二つあったらしいです。
この写真を見ながら「そんなに変わってねぇあ」と懐かしそうに話していました。
ここはドヤ街山谷の入口にも相当しますが、ここは労働者たちが毎晩毎晩集まって飲んでいたそうです。
父は午後4時から10時とかでバイトをしていたようなのですが、ちょうど仕事から帰ってきた男たちが飲みにやってくるんです。
その頃(1980年頃)は朝になると「仕事あるよー、仕事仕事ー」というかんじで、まるで繁華街のキャッチのごとく、日雇い労働を求めて集まっている男たちを山谷のその場で捕まえて、車に乗せて仕事に向かっていたそうです。
今ではなかなか考えられないですね。
そんな日雇い労働者たちの一日の楽しみといったら酒を飲むことだったのでしょう。
店内は労働者たちでいつも賑わっていたようです。
居酒屋”世界”はとにかく安かったらしく、焼酎の水割りが45円とか、安いおつまみは10円くらいかららっきょとか、梅干しとかが提供されていたとのこと。
ビールは200円くらいしたらしく、ビールを飲む人はお金持ってるな、という印象だったみたいです。
お店の中は木でつくられたカウンター、というかんじだったらしく、昔ながらの居酒屋を想像しています。
お客さんのなかには喧嘩とかしだしてたまにビール瓶で殴りあったりとかもあったと聞いてびっくりしました。
それが日常の一部なのか…。
ちなみに、ビール瓶で殴られてもきれいに割れるとその人はケガしないらしいです(笑)
とはいえ、そういう喧嘩したり、アル中になっているようなお客さんは全体の2割くらいらしく(とはいえ多い)、残りの人たちはただただ飲みを楽しんでいるというかんじだったとか。
人との触れ合いを求めて
僕の父は、そんな労働者たちと接しているうちに彼らには人との触れ合いが足りなくて、それを求めにこういうところに来ているのではないか、と思ったそうです。
彼らは一人身の労働者であることが多く、安い宿に住んでいるようなものだから、帰るべき場所、待ってくれている人がいないことがほとんどなんですね。
だから彼らには人との触れ合いというのが足りていなかったのかもしれません。
その証拠に、僕の父が何か優しく話しかけるととても嬉しそうに反応されることが多かった、と語っていました。
本当に人にとってつらいことは、経済的な貧しさなどではなく、人と人との関係がなくなってしまうこと、孤独になってしまうこと。
そんなことを父は話していました。
いま、ドヤ街の宿には当時の日雇い労働者が高齢者となって生活保護を受けながら暮らしている人が多いそうです。
そして、人知れずひっそりと亡くなっていってしまう、そんなことも問題視されています。
それはもはや山谷に限ったことでなく、日本全体で問題となっていることです。
こんな時代だからこそ、人と人とのつながりを再び見つめなおしていかないのかもしれませんね。
【書評】今や忘れられし古くからその地に根付いた伝説や信仰~柳田邦男『遠野物語』
この本は日本を代表する戦前(戦後も生き続けられました)の民族学者柳田国男が今の岩手県にある「遠野」という地域に伝わる慣習・伝説などの話をまとめたものであります。
今の日本ではなかなか聞くことのなくなったかつての日本人たちに根付いていた信仰・考えをうかがい知ることができる一冊です。
※カテゴリーの分類で迷いましたが、岩波文庫では日本思想に分類することにします。
要約
- 今の岩手県の遠野という地域に何百年とこえて伝わった民衆の習慣・俗信・伝説に関する100以上の話から構成されている
- 河童や座敷童のような今でも知られているような妖怪から、山に住む人さらいのような狂人、村で行われる伝統的な風習まで事細かに記録されている
伝えられていた話に根付く深い人間的なもの
遠野物語を読むと、一つひとつの話が面白く興味深いものばかりで実際に遠野という地域を訪れたくなってしまいます。
実際遠野を訪れると遠野物語にゆかりのある場所や記念館などたくさんの見どころがあるそうです。
こうした話を読んでいると、今の日本人の心から失われてしまった価値観だとか信仰というものを垣間見ることができます。
昔の日本は仏教などの宗教ももちろんありましたが、里で暮らす民衆は宗教というよりも、自然への崇拝・信仰というものが主流だったのではないかと思われます。
でなければ、こんなに神さまをかたちどる人形をつくってお祈りするなどという話は遠野物語にはでてこないはずです。
遠野物語はその地域一部にスポットをあてた民俗学的記録であると同時に、かつての日本全体に共通するような生き方そのものを描き出しているようにも思えるのです。
その証拠に、遠野物語ではこんな話聞いたことない、というものよりはなんか似た話を聞いたことがある気がする、と思わさられるような、日本人としてのDNAをくすぐられるような話がたくさんあります。
宗教や信仰というものは、その国・地域ごとの独自の地理的・気候的・人口的・他民族との関わりなど要因によっても生まれていきます。
日本の場合、島国で他民族との抗争もあまりなく、豊な山々などの自然から得られる恵みによって生きてきました。
そうした恵みから何変わらぬ毎日を繰り返すことができることが一番素晴らしいことであり、そうできるために自然に対して願い、信仰し、そして感謝をしてきた民族である、と思います。
今の資本主義社会のような、成長しつづけることが価値の社会とは全く別物の社会ですね。
そうした深い人間的なもの、日本人的なものを遠野物語から読み取ることができたような気がします。
最後に、遠野物語の中でも特にたくさんの話の舞台としてでてきた、山について少し言及したいと思います。
日本人にとっての山
印象に残る話がたくさんあったのですが、そういった伝説とかの背景にある昔の人たちの信仰・考えが表れていた話がありました。
それは、ある山に入った人が一組の男女を見かけちょっかいを出したところ、その後その人は死んでしまった、という摩訶不思議な話。
その話の最後になぜそうなってしまったか、ということで次のように語られます。
山の神たちの遊べるところを邪魔したる故、その祟りを受けて死したるなりといえり。
要は、山で出会った男女は神々が化けた姿であったのであり、神さまたちの気分を逆なでしてしまったために死んでしまった、ということでした。
まさにこの話がかつての日本の人々の信仰がよくあらわれた話だと思います。
どういうことかというと、かつての日本人にとって山とは食べ物などの恵みを与えてくれる場所であると同時に、普段の生活場所(=村・集落)とは明らかに一線を画した人智を越えた場所・恐れるべき場所であったということなのではないか、ということです。
日本は今でこそ開発が進み都市などが開けていますが、かつては国土の多くが山・森に覆われていたわけです。
人々は食糧などの恵みを求めて山に入ったわけですが、山というのは猛獣や崖などの危険がたくさんある場所でもあります。
まして昔は道などもたいして整備されていないわけですから、山に入ったはいいものの何らかの事故に合い帰れなくなった、ということは多々あったのではないかと思われます。
そんなとき、山を恐れるべき場所、人智を越えた場所、すなわち神々や妖(あやかし)が宿る場所とみなすことで、山という場所を当時の人たちなりに理解していったのではないだろうか、と感じました。
今のような科学的な視点というのは当時はなく、伝統や慣習から物事を考えていたわけですから、自分たちの考えが及ばないものというのは人が及ぼない存在=神の存在に結びつくのは当然の帰結かもしれません。
こうした伝説などの話は何らかの例えである場合が多いと言われています。
遠野物語に山の中での伝説の話がたくさんあるのはそういった理由が多いのかな、と思いました。
遠野物語は日本人としての心がくすぐられるような感覚を覚える、そんな一冊でした。
❮行ってみた❯東京のドヤ街、山谷の今の姿は?思った場所とは違った今の姿
突然ですが、ドヤ街という言葉をご存知ですか?
Wikipediaによると、
ドヤ街(ドヤがい)とは、日雇い労働者が多く住む街のこと。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さ言葉であり、旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいることに起因する。東京の山谷、横浜の寿町、大阪のあいりん地区が特に有名である。
とのことです。
安く泊まることができる簡易宿を求めて日雇い労働者や職がない人々が集まった地域と言えます。
この日雇い労働者というのは高度経済成長期を裏で支えた建設業などにたずさわっていた人が多いようです。
日本を裏で支えた人々と言えるでしょう。
スラムとはまた異なるドヤ街、ネットで調べれば炊き出し、汚い、治安の悪さ、ホームレス、生活保護など、マイナスイメージの色々な情報がヒットします。
じゃあ東京を代表するドヤ街、山谷(さんや)とはどのような場所なのか。
気になったので東京で一人暮らし中の僕は、自転車を飛ばして行ってきてみました。
今日はそんなお話。
行くきっかけになったニュース
先日の夜、バンキシャ!というニュース番組を見ていたら、ちょうど山谷に関するニュースが放送されていました。
その番組によると、山谷にかつて住んでいた労働者たちは今や高齢者となり、安い宿に住み込んでいる人々が多いとのことです。
取材を受けていた男性は一泊2200円の宿に泊まり続けているそう。
テレビ情報だと山谷に暮らす人は約4200人、平均年齢66.1歳、その9割が生活保護受給者とのことです。
その一方で最近は安い宿を求めて海外のバックパッカー旅行者の宿舎が増えているらしいです。
変わりつつある山谷、その実態はどうなんだろうか。
そのことが頭から離れず、昨日昼過ぎ、僕はリュックを肩に自転車に乗り込んだ。
さあ南千住駅から歩いていこう
この話の前にまず山谷がどこにあるか説明します。
山谷という地名自体は実は今はなく台東区の日本堤と清川という場所の一部を指します。
最寄り駅は地下鉄日比谷線の三ノ輪駅やJR常磐線の南千住駅となります。
地図で言うと、この赤斜線のあたりが山谷です。
上野や浅草の近くですね。
ぼくは南千住駅に自転車を止め、そこから徒歩でいくことにしました。
ネットで調べたら山谷では自転車がよく盗まれるとかいう情報があったので…(笑)
南千住駅前は綺麗に整備されていて、高層マンションもあったりしてとてもではないけれどこの近くにドヤ街があるとは思えません。
歩いている人も高校生や子供連れの家族、高齢のご夫婦など様々で穏やかな街というイメージです。
さて、歩道橋を渡って線路の向こう側に行き、上の地図で書いた青い矢印の方向へと向かって歩いていきます。
歩道橋を渡り終わると目の前には東京スカイツリーが。
まだこの辺りの通りは普通の東京の街並みというかんじです。
南千住駅から10分もまだ歩かないくらいに、セブンイレブンが見えてきます。
このセブンイレブン、世界本店という店名で、カップ酒の売り上げが世界一とかの伝説があるとかないとか。
かつてここにあった世界という名の居酒屋にこの店名は由来しているようです。
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そう、このセブンイレブンが見えたならついにその道の先の両サイドが山谷と呼ばれる地帯になってきます。
今注目の「さんやカフェ」
山谷に入り、向かいたいところがあったのでまずそこへ向かいます。
それは「さんやカフェ」という3月末にオープンしたカフェです。
いや、ドヤ街と関係ないじゃんと思ったそこのあなた。
それが関係あるんです。
このさんやカフェは、ドヤ街山谷に住む日雇い労働者の人も訪れた海外からの観光客も、色々な人がいきかうカフェをつくりたいとの思いが込められつくられたカフェだそうなのです。
この毎日新聞のニュースにも早速取り上げられていて、なんと経済的に困っている人にゴミ拾いを手伝ってもらう代わりに無償で食事を提供する試みも始めているそう。
思いやりをコンセプトにした新たな取り組みです。
このカフェの存在を山谷に出かける前にネットで色々調べていたら知りました。
そんなのもういくしかないじゃないですか。
というわけでまずよりました!
中に入るときれいなモダンな内装で、カウンター以外満員でした。
土曜日の3時前とのこともあり日本人の女性のお客さんが多く、日雇い労働者や外国人観光客はいませんでした。
コーヒーと「さんやプリン」を注文。
さんやプリンは手作りらしく、クリームとソースの相性がたまりませんでした!
自転車でたくさん走ったきた自分へのご褒美だと思っておいしくいただきました。
とてもいい雰囲気の場所でした、今後の更なる活動に注目ですね。
とても賑やかだけど、、靴まつり?
さんやカフェを出た後は、玉姫稲荷神社の方に向かって歩いてみました。
上の地図の③にあたる方向です。
途中で草に包まれた建物が。
よく見るとなんと一泊1700円。そして「自炊できます」。
本当にやっているのか外からは分からないけれど、早速話に聞いていた山谷らしさを感じました。
しかし、歩いているとだんだんお祭りの音が聞こえてきました。
あれっ、なんかやたら雰囲気が明るくないか?
それもそのはず、奥の玉姫稲荷神社で一年に一度の靴まつり市というものが開かれていたのです。
このお祭りの存在は知らなかったのでびっくりしました。
神社の鳥居には大きな幕が掲げられていました。
・・・いや、めっちゃ人賑わってるじゃん。
てっきり山谷って暗い雰囲気が漂っているのかと思えば、いい下町ってかんじの雰囲気です。
訪れたタイミングの問題なのでしょうか。
でもこれも山谷の一つの顔であることには違いないはず。
靴もこころなしか安い値段で売られており、ほんとにお祭り気分でした。
かつての山谷の代名詞、いろは会商店街は今
今のところ山谷にdeepなかんじはあまり感じられません。
今度は吉野通り(上の地図で青い矢印が書かれている通り)を渡って、日本堤という住所になるほうを歩いてみました。
たしかに安い宿がたくさんある。
というか冷静に考えると一泊2000円代前半は異常に安い。
自転車がたくさんあるのはきっとここに住んでいる人たちの移動手段なのでしょう。
二階の窓からはそこに泊まっている人のものであろう洋服がハンガーにかかっているのが見えました。
空室あり、長期宿泊可だそうです。
きっとバンキシャ!にでてきていた高齢者の方もこういうところに住み込んでいるのでしょうか。
簡易宿舎はまだまだたくさんあります。
そしてこの辺りからだんだん道端に座って昼間からお酒を飲んでいる中年~高齢者男性がちらほら見えるように。
ちょっとずつdeepなかんじが見えてきた気がしました。
ブルーシートがたくさんまとまっているところも。
これを見るとホームレスを連想しますが、この持ち主は果たして...。
これはさすがかつての労働者の街山谷というかんじ。
しかし、空いた扉から見える中はもう廃墟という感じです。
労働者の街から高齢者の街へと変容したように、こういった労働運動のような要素もなくなっていったのでしょうか。
ところで、山谷でネットで調べると必ずといっていいほどでてくるいろは会商店街が見当たりません。
どんなに歩いても商店街の屋根付きアーケードがあるところが見当たらないのです。
地図上ではそこだと表示されているのに、というところでも屋根付きアーケードはありません。
それもそのはず、屋根付き商店街は浮浪者などが地面に寝泊まりする場所となっていたことが問題視され、アーケードが街の風通しをよくするために撤去工事が行われ、つい2018年の2月頃にそれが完了したそうです。
つい、こないだじゃないですか。
見てみたかった…。
こうしてだんだんとかつての山谷の姿が失われつつあるのかもしれません。
かつての写真と照らし合わせるとこの通りがかつてのいろは会商店街の入り口のようです。
ちなみに、写真にうつっているパトカーは、ちょうど酒を飲んでへらへら笑って歩いていた男性を職務質問するために止まっていました。
その男性は「しょくしつだってよー」って笑ってました。
そしたらそれを見て「あいつしょくしつされて笑ってらぁ」と笑う男性たち3人ほど。
よく見るとそのうちのひとりはなぜかセーラー服を着ていました。
50、60くらいの男性です。
いや、職質するならそっちだろ。
最後にとんでもなくdeepな山谷を見せつけられました。
まとめ
こうして山谷という街を歩いてみたら、かつての労働者の街としてのドヤ街から、高齢者の街としてのドヤ街になっているのは間違いないようです。
そんな中、さんやカフェのようにこのドヤ街だからこそできる新たな取り組みも始まったり、さらに新たな山谷へと移り変わり始めているのかもしれません。
ただ、そういった中でも変わらないものもきっとたくさんあるでしょう。
あくまで山谷はかつての日雇い労働者で高齢者となった人たちの街。
都会で失われつつある人間臭さみたいなのが、この街にはまだある気がします。
これから東京オリンピックの影響で海外からの観光客が更に増え、それに伴いこの山谷の開発も進んでいくのかもしれません。
東京のドヤ街山谷は時代の流れの中でどのようになっていくのか。
あのセーラー服のおじさんはどうなっていくのか。
変わるものと変えられないもの、そんなものを肌で感じる街、山谷でした。